街の小さな移ろいに気付きたい

『還暦ライダー』の生存確認日記

日本武尊、東征の道程②「三舟山」-「八剱八幡神社」-「吾妻神社」-「太田山」

2022年11月25日(金)

次回は近場を走るとしていましたが、12月1日より新しい仕事のオファーがあり、急遽働くことになりました。予定を変更して、日本武尊、東征の道程の続きを実施いたします。今回は走水を渡って、房総(上総)に着いたときの状況を追います。

【広域地図】

【君津周辺地図】

■三舟山

元は「御船山」と呼ばれていました。この山の南の海岸に日本武尊の船が着いたとされています。三舟山は標高138mの小さな山ですが、昔は海抜が高く三舟山の周辺まで海だったと思われます。日本武尊の伝承についての碑等とはないようです。三舟山の麓をぐるりと巡りたいと思います。

●JR君津駅まで輪行

JR君津駅まで、Tyrell FXを輪行しました。ここから三舟山まで走ります。

JR君津駅前から君津中央通りをまっすぐ三舟山に向かうと、小糸川に駅前大橋(通称:ふれあい橋)が架かっています。

この橋からきれいに「富士山」が見えました。

●弁財天

千葉県富津市本郷910

舟山の麓の村に美しい「弁財天」の神社を見つけました。村の人々が大切に管理されているのがよくわかります。山の中に突然、現れた桃源郷のようです。史跡巡りをしていると時々、思わなかったところに新たな発見をするうれしい誤算があります。

●郡ダム(こおりダム)

千葉県 企業庁 郡ダム管理所
千葉県君津市郡878

舟山の南部の先端に位置します。「郡ダム」は工業用ダムで、湊川取水場からの水を一旦、溜めて製鉄会社やコンビナート地区に工場用水を提供しています。また渇水期には河川に放流されるそうです。

郡ダムは水上スキーの競技を誘致することにより、地域の活性化を行っているようです。

●三舟の里案内所

千葉県君津市小香359

舟山を訪れるハイカーの拠点です。山道から現れるハイカーを度々見かけました。駐車場も完備していますが、登山人気で駐車場が不足しているようです。三舟山には日本武尊の史跡がないので、「三舟山の目印を...」と立ち寄りました。

舟山はこんな低い稜線が続きます。

【木更津周辺地図】

■八剱八幡神社

千葉県木更津市富士見1-6-15

日本武尊の軍勢が走水を船で渡ってから、しばらく滞在した場所として知られています。三舟の里案内所からTyrell FXで走ってきました。1時間程かかりました。(12km程)徒歩なら2時間程度かな。移動するのに難しい距離ではないですね。起伏も少なくほぼ平坦です。

由緒
人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃橘姫が、「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふなり」と海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。(八剱八幡神社ホームページより)

大きな「参集殿」というものが出来ています。数年前には建築中で寄附を募っていました。

■吾妻神社

千葉県木更津市吾妻2-7-55

日本武尊の軍勢が旅の疲れを癒すために、ここの池で喉を潤し、身なりを整えたとされています。また、弟橘姫が使っていた鏡をその池に沈めて弔ったとされています。

■太田山

日本武尊は入水して亡くなった弟橘姫を想い、太田山の山頂に登り海の方を見つめ長くこの地を去らなかったことからこの地のことを「君不去」(きみさらず)と名付けられ、木更津に変わったそうです。

●刀八神社

千葉県木更津市太田2-14−22

日本武尊の太田山での出来事を記念し、里人が祠を建立し祀ったとされる。

石碑には下記のように記されている。

社伝

刀八神社は大山祇命 日本武尊 二神を祀る、

景行天皇の四十年庚戌、日本武尊 東征の時、相模国より本地に渡り給わんとす、海上にわかに波荒れ、御船将に危からんとす。妃橘姫命申し給わく「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふなり」とて身を躍らして海に投じ給い、尊の御命に代り給う。暴風忽に治り、御船此の地に着き給う。尊、姫の死を悔み悼みて太田山山頂に登り海を眺めて暫し去り給はず。依りて太田山山頂を「恋いの森」と呼ぶに至れり。里人此の祠に日本武尊を併せ祀る。

●きみさらずタワー

千葉県木更津市太田2-16

1992年(平成4年)にふるさと創生事業により、木更津市の市制施行50周年記念に建設されたました。

太田山に近づくに従って、日本武尊と弟橘姫の御姿が見えてきます。

タワーに登って写真撮りました。カメラ持つと視野が狭くなるので怖くてたまりません。手すりまで近寄れません。高所恐怖症の人は足がすくんで歩けなくなるかも知れません。

遠足で低学年ぐらいの生徒が来てきましたが、タワーをガンガン登っていました。見てて怖い!

●JR木更津駅

JR木更津から輪行で帰ります。木更津は「証城寺の狸囃子」の伝説の伝わる地でもあります。木更津市内に伝説の元になった「證誠寺」があります。 

千葉県木更津市富士見2-9-30

電車(JR市川市内-JR君津):1,200円くらい

自転車:40km

電車(JR木更津-JR市川市内):1,000円くらい

日本武尊、東征の道程「御所ヶ崎」-「走水神社」-「叶神社」-「東京湾フェリー」

2022年11月19日(土)

日本武尊の東征を追体験します。神社や地方に伝わる伝承を元にしています。作り話も多いかと思いますが、あくまでも自転車旅のルート探しの一環として利用しています。

【始まりの地】

千葉の神社に伝わる日本武尊の伝承は必ず、走水で嵐より御船を守るために入水した弟橘姫の献身を語って始まっています。ですから、おいらの旅の始まりも走水神社から始めたいと思います。

京急馬堀海岸駅

本日は5:00に起床して、6時台の電車に乗って輪行です。東京メトロ日本橋経由、都営浅草線から京浜急行を利用して、馬堀海岸駅まで来ました。ここから、自転車組み立てて出発です。

■御所ヶ崎

日本武尊はこの地で軍船の準備を進めていたため、しばらく、この地に留まったようです。その間、臨時の御所をこの地に設営し、軍旗を立てました。そのため、この地を地元の人々は御所ヶ崎、旗山崎と呼ぶようになりました。

軍船にて上総へ進もうとしたとき、嵐が続き、出帆できないため、弟橘姫は海神の怒りを鎮めるため、この先の岬から、侍女たちと共に入水したと伝えられます。入水した岬のことを「むぐりの鼻」と呼ばれているそうです。この先は立入禁止となっているため確認はできません。

この辺りが走水港です。ここで人工的でない場所は釣り人が立ってる岩礁辺りだと思うのですが、これが日本武尊軍が軍船に乗り込んだ場所と言われている「寺島(御座島)」なんでしょうか?

■走水神社

走水神社の創建は軍船の準備をしていた時、村人たちが非常に日本武尊たちのことを慕うので、日本武尊は自らの冠を村人たちに与えたそうです。その冠を石櫃に納め神社を建立したそうです。弟橘姫を祀る橘神社は元々は御所ヶ崎にあったのですが、明治時代に御所ヶ崎が軍用地となったため、走水神社に合祀されました。

弟橘媛命「舵の碑」

入水によって、嵐を鎮め船の航行を守ったことを記念して船の舵に弟橘姫の肖像を刻んで建立しています。

●拝殿・本殿

日本武尊と弟橘姫が祀られています。

●別宮

弟橘姫と共に入水した侍女たちと、日本武尊軍に同行した武勇士(十王)を祀っています。

●海への眺め

この先がちょうど、日本武尊軍が軍船に乗り込んだ走水港「寺島(御座島)」になります。

●東征成功の祈願

ここで「東征成功の祈願」をして、この階段を降りて軍船に乗り込んだと思われます。今回の訪問で、そのようにしたのではないかと感じました。

以前、来たときには石が乱雑に並んでいるだけだったのに、囲いがされて、賽銭箱まで付いています。

■西叶神社

日本武尊の伝承とは関係ないですが、せっかく、横須賀、浦賀まで来たので叶神社に参拝することにしました。走水から浦賀まで自転車で走ります。

平家の横暴ぶりを憤った文覚上人は源頼朝の為に源氏再興を発願し、治承年間(1177〜1180)上総国(千葉)鹿野山に参篭しました。源氏氏神と称え奉る石清水八幡の神に祈念をし、源氏再興の本願が叶えられれば勝地を探し求め八幡の一社を建立、末永く祭祀すると誓いをたてました。
文治二年(1186)源氏再興の大願が叶ったところから、叶大明神と称するようになりました。

●縁結びの勾玉御守り

透明:水晶 赤:めのう 緑:ひすい

の勾玉御守りがあります。縁結びというと「恋愛・結婚」と思われがちですが、人との出会いと縁を結ぶというとで、人間関係、仕事、学業にも有効です。

西叶神社:勾玉御守り

東叶神社:御守り袋

を頂くことにで、一つの御守りになります。

撮影許可を頂いて撮影しています。

浦賀渡し船(西渡船場

東叶神社へは「浦賀渡し船」で行くことができます。

以前来たときは200円だったのに倍額の400円になっています。どうやら、民間委託して値上げしたみたいです。おいらは前回乗ったので、自転車で行くことにします。

浦賀渡し船(東渡船場

自転車で浦賀湾沿いを走れば10分程かな。東渡船場にやってきました。時刻表はありません。渡し船が行ったり来たりしています。お客が少ない時は呼び鈴押すとすぐ来ます。

■東叶神社

元禄五年(1692)、江戸幕府の行政政策により、浦賀は東西の浦賀村に別けられたため、東岸でも今まで通り信仰を行いたいということで分霊となったそうです。

浦賀湾に面した神社

鳥居のすぐ前が海になっています。

勝海舟断食の碑

「咸臨丸」の艦長格の勝海舟は太平洋横断前に東叶神社の裏山で航行安全祈願のため断食を行ったとされています。その碑がここにあります。

裏山は標高50m程あるので、石段を登るにはかなりの体力が必要です。

●「縁結びの御守り」の完成

東叶神社で「御守り袋」を頂きました。これで、「叶う御守り」の完成です。

東京湾フェリー日本武尊の水行を疑似体験

横須賀、浦賀の自転車移動でヘトヘトになるかと思っていましたが、意外に距離がなかったので、体力が有り余っています。東京湾フェリー久里浜から金谷まで日本武尊の水行を疑似体験してみたいと思います。

久里浜港に到着

ちょうど、「かなや丸」が入港していました。この船はスルーして、次の「しらはま丸」に乗船することにしました。

●甲板で撮影

客室でのんびりも出来るのですが、せっかくなので甲板で撮影することにしました。

日本武尊は走水のことを「こんな小さい海」と言ったそうですが、実際に見るとやはり大きいです。ここで海が荒れたらひとたまりもないです。

復路の「かなや丸」とすれ違いました。

巨大コンテナ船が前方を横切りました。写真だと大きさが伝わりませんが、壁が迫ってくるようで恐怖を感じました。

弟橘姫が入水する際「菅畳・皮畳・絹畳を重ねて海の上に敷いて座った」と言います。入水して命を捧げるというよりは海神と話し合おうとする態勢に思えるのですが。

※追記:この話は「古事記」、「日本書記」の話になります。御所ヶ崎では出航前の話なので伝承内容が異なります。

フェリーは自転車を折り畳んで輪行袋に入れれば手荷物扱いで乗船することができます。

金谷港に入港です。

■JR浜金谷から輪行で帰ります。

本数が少ないので1時間待ちです。17:30頃の帰宅になりそうです。

※ 次回は近場を走ります。走行シナリオが纏まったら、房総半島での日本武尊、東征の道程を追いたいと思います。

 

電車(市川市内-馬堀海岸):1,200円くらい

自転車:22km

浦賀の渡し:400円

御守り(勾玉):500円

御守り(袋):500円

東京湾フェリー:900円

電車(JR浜金谷-JR市川市内):1,500円くらい

ストレスフリーな日々「谷津干潟自然観察センター」

2022年11月12日(土)

10月31日、1年半関わったプロジェクトが終了。契約満了となって、職場を離れた。フリーのエンジニアになってもう15年か...何とか還暦までたどり着いた。

次の仕事を探さなければならないが、業者にお任せしているので、連絡待ちだ。還暦過ぎても仕事の引き合いがあるのはありがたいことだ。まったくのフリー状態。暫しの休息を多いに楽しもう。

谷津干潟の水面

谷津干潟の水面(みなも)が非常に穏やかです。まるで鏡の表面みたいにまっ平。ツルんとしている。それだけでも来てよかったと思う。

まるで、今のおいらの心の中を表しているよう。

谷津干潟自然観察センター西門

西門に到着。ここからも、自転車押して行けば通れるのですが、この先の通路を通りたいので正門まで行きます。

この、樹木に覆われた通路が最高です。夏は涼しいし、秋も緑に覆われた道を通るのは気持ちいい。

正門に到着です。

谷津干潟自然観察センター正面玄関

駐車場に自転車止めて、中に入ります。今日は晴れてよかった。明日は曇りから雨みたいです。

■樹木が紅葉しています

公園内の樹木が紅葉しはじめています。入館前に紅葉を眺めましょう。

谷津干潟自然観察センターに入館

初めて入館します。入館料は一般(高校生以上):380円、65歳以上:190円、子供は無料です。

撮影許可を頂きました。ブログ掲載もOKとのことでした。

カフェ・オアシスでパンケーキを食べたかったのですが、この後、満席になってしまいました。結構、人気があるようです。

館内は谷津干潟を向いていて、展望ができるように観察スペースが設けられています。

詳しい施設の説明は下記リンクからお願いします。

習志野市 谷津干潟自然観察センター

■「今日からはじめる ばーどらいふ!」の展示

「今日からはじめる ばーどらいふ!」の展示が行われています。

期間:2022年11月3日~12月18日
会場:習志野市谷津干潟自然観察センター 特別展示コーナー
著者の一日一種さんが手がける月刊BIRDER連載漫画のパネルを展示しています。
売店ちどり屋にて書籍販売

■水鳥を観察する

ダイサギ」でしょうか。本日はたくさんの白く首の長い水鳥が谷津干潟に飛来しています。とても運がよかったです。コンデジのデジタルズームなのでエッジがボケてあまりうまく撮れてません。

水鳥は今日、たくさんいたからといって明日もいるとは限りません。

谷津干潟ライブカメラがあるので、ライブカメラで確認してから来るといいでしょう。

谷津干潟ライブカメラ

http://webview.seaple.ne.jp/CgiStart?page=Single&Language=1

※追記:撮影は館内の観察スペース、谷津干潟の遊歩道の観察デッキから行いました。

「カワウ」ですね。3羽そろって何を思う。

ダイサギいっぱいいるよなぁ。俺たちの居場所がないよぉ。」とでも言っているのかな。

何だか本当に穏やかな一日でした。

 

自転車往復:20km

真実の茂侶神社は何処?「船橋市」「松戸市」「流山市」

2022年11月6日(日)

神社名の冠に「式内社」とか「延喜式内」とか書かれている神社があるのを知っていますか。

延喜式神名帳」というものが、平安時代後醍醐天皇により編纂されました。当時の官社の一覧で国郡別に羅列されています。これに羅列されている神社が「式内社」と呼ばれています。(延喜式神名帳 - Wikipediaより)

つまり、「式内社」であれば、平安以前から存在する由緒正しい神社である証明になります。

下総国葛餝郡には二座の神社が記述されています。

・茂侶神社
・意富比神社

意富比神社は船橋の人ならよくご存じの船橋大神宮と呼ばれている神社のことです。

当然、一つしかありません。

しかし、茂侶神社は三つ存在するんです。(船橋市松戸市流山市

本来は一つであるはずの神社が複数存在する場合、そのような神社のことを「論社」と呼んでいます。

今日は真実の茂侶神社を探しに行きたいと思います。

■茂侶神社(船橋市

千葉県船橋市東船橋7-20-1

意富比神社の近く(歩いて10分程のところ)に茂侶神社があります。

この神社が真実の茂侶神社ではないかという理由として、同じ「式内社」である意富比神社の近くに存在していることが理由としてあげられています。

この神社は住宅街の中にあるので、うっかりすると見つけられずに通り過ぎてしまいます。

邸宅と邸宅の間にひっそりと参道があります。通路が通っているだけで一見抜け道のように見えます。この先に神社があるとは分かりません。

延喜式内茂呂神社」と書かれています。

非常に参道が長いです。木花開耶姫をお祀りしているので、同じ神様とお祀りしている浅間神社と同じ造りをしています。

茂侶神社縁起には下記のように書かれています。

茂侶神社縁起
当茂侶神社の起原は古く延喜式神名帳
下総国葛飾郡二座
茂侶神社 意富比神社
とあり今を去る千六十年前すでにこの地に鎮座されて居たのであります
愛媛県越智郡瀬戸内海大三島、祭神は阿多の豪族大山祇神の姫御子で日本の女性の表徴である木花開耶姫を祀り古来縁結び安産子育ての神として地元民の崇敬する処でありました 攝社として祭神の姉命磐長姫を祀り小御嶽神社と申して居ります
三代実録に清和天皇貞観十三年十一月十一日下総國従五位下茂侶神に従五位上を授くとありまた陽成天皇の元慶三年九月二十五日下総國正五位下茂侶神に正五位上を授くとあります
西北にある湧池は天の真名井と称する当社の神泉であります
江戸名所図絵によれば年の始に隔年この神域より御営に根引の若松を撰び上納する旧例とすとあります
古来例祭は旧暦六月一日に行う

■江戸川沿いを新松戸に向かいます

一旦、妙典橋に戻って、江戸川サイクリングロードを新松戸に向かいます。

旧行徳橋の水門です。今回は河原から眺めてみました。

冷たい空気で澄んでいるのか、スカイツリーがキレイに見えます。

「アイ・リンクタウン」も今日は鮮やかに見えます。

■茂侶神社(松戸市

千葉県松戸市小金原5-28

建立された経緯はわかりませんが、江戸時代に水戸光圀公がここにお鷹場を持っていて、この神社が社格の高い神社であることを知って、代々、水戸家から祭典料や営繕料を給わっていたそうです。大物主命を祀っていることから、流山の茂侶神社と何らかの関係があったかも知れません。距離も近いしね。

上記の石碑には以下のようなことが刻まれています。

抑々當神社は今から凡そ壹千年前古代平安時代の中期に完成した延喜式神名帳(九二七) によれば下總国葛飾郡内二社中の一社で正五位の格式社であり祭神は大物主命である 中世室町時代寛正二年(一四六一)二月にはこの地に本拠を置いた戦国大名高城下野守胤 吉が當社の本殿及び拝殿を再建し當地方の鎮守とし武運長久の祈願社としていた近世 江戸時代の初期に至り小金西新田(現小金原二・三・六・七町目の一部分)に在った水戸家所領 八拾参万平方米(約八拾参町歩)に黄門義公お鷹場の役所を設け領地の南北に表裏二門を 建て放鷹を行っていたが偶々當社が正五位の格式社であることを知り寛文四年(一六六 四)四月家臣板野伊藤の両名を遣し本殿拝殿の修復を行い義公自ら茂侶社と書した扁額 を献じ水戸家より代々祭典料を営繕料が給せられたまた現在の社名額は明治拾六癸未 年二月七日明治大帝の御弟君有栖川宮一品幟仁親王の御親筆でありこの年代には社格 が高木村々社となり爾来大祭(十月十七日)の祭典は村費により賄われ祭禮は全村挙げて の盛儀となり司祭の神官は代々友野氏が担当していたその頃の神域参道百米に及ぶ両 側には樹齢参百年以上の老樹鬱蒼と生い茂り昼なお暗く特に本殿裏境内には七・八百年 を超す老杉数拾本が天を摩して聳え参詣者をして自ずと襟を正さしめる神威を四方に 光放っていた然るに昭和参拾八年日本住宅公団小金原団地造成事業の施行により 境内は縮小され老樹も多く枯損し現存の老木は椎六本と参道入口に樹齢凡そ五百年の 老松を残すのみとなり神域の景観は昔日の森厳さを失うに至ったよって茲に会員一同 相い議し神域を整備して御神域の益々の隆盛ならむことを祈念し奉り併せて社史を後世 に伝へるため碑に刻して永く御神徳の弥栄を希うものである

■茂侶神社(流山市

千葉県流山市三輪野山619

ここが一番、本物ポイです。

奈良時代もしくは平安時代に大和から部族の移動記録があったことから、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)に関係する部族が移り住み、分霊をして祀ったと思われる節がありますね。大神神社のご神体、三輪山は別名、御諸山(みもろやま)と云うそうです。同じ名前を名乗ることは恐れ多いということで、別名をもじって、茂侶神社になったのかも知れません。

しかも、この辺は「三輪野山」って云うんですよ。小さな丘のような山があります。

移住当時、故郷の「三輪山」を思い起こしていたんですかね。大国主命が祀られていることから、流山の人の起源は出雲系かもね。

※追記:大神神社奈良県桜井市にある大和國の一之宮です。巨大な大鳥居が有名な神社です。「神様に呼ばれないとたどり着けない神社」と言われています。

こちらは「式内社茂侶神社」と書かれています。

■流鉄を利用して輪行で帰る

さて、体力も知力もいっぱいいっぱいです。お家へ帰りましょう。

この辺には「流鉄」が通っているので、輪行で帰ることにします。

「幸谷」まで乗って「JR新松戸」で武蔵野線に乗り換えです。

流鉄開業100周年記念コラボ『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』の看板みたい。実際のコラボは2015年~2016年のことなので、ずいぶん、引っ張ってますね。おじさんにはようわからん。

※追記:普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』とはアニメで、町おこしアイドル「流川ガールズ」の物語。架空都市、流川市をピーアールする為に誕生した女子高生ローカルアイドル(ロコドル)らしい。舞台の流川市は流山市をモデルにしている。登場人物の苗字が流山市や近辺の地名が使われている。流山市の街並みも作中描写されているらしい。

久々に「輪行」です。

折り返しの電車に乗ります。

2両編成で赤と黄色の車両が繋がっているので「オムライストレイン」と言うそうです。車両不足で仕方なく違う車両を繋いだことが功を奏したそうです。美味しく頂きました!!

 

自転車片道:48km

流鉄(流山-幸谷):170円

JR武蔵野線(新松戸-西船橋):220円

 

4500年前の縄文生活跡「中山競馬場」-「姥山貝塚公園」

2022年10月30日(日)

寒くなってきました。おいらにとっては寒い方が自転車日和です。寒いのは最初だけ、走り出してしまえば、体温で温かいからもう関係ない。

暑さの方が体力消耗するから、おいらには寒い方がいい。

早速、走り出す。姥山貝塚公園に行く。

中山競馬場前を通過

姥山貝塚公園へ行く途中に「中山競馬場」を通ります。競馬場というと賭け事のイメージがあって、近寄りがたいのですが、最近は施設内もオシャレになって、競馬目的だけでなく、キッズスペースなんかもあって家族で楽しむこともできるそうです。そのうち、「中山競馬場」にも訪問してみましょう。

■姥山貝塚公園

4500年前の縄文時代貝塚遺跡です。馬蹄形の集落跡が発見され、竪穴式住居の跡が39か所ありました。また、143体の人骨も発見されています。この貝塚の発見で重要なことは縄文人生活様式が明らかになったことです。縄文人が炉と柱を持つ住居に住んでいたこと、家族の人員構成、猟犬やペットとして犬を飼っていたこと、装飾品を好んで身に着けていたことも推測することができました。

4500年前に彼らが生活していたとされる同じ土地の上を歩いていると、当時の彼らの感情も伝わってくるようです。このまま、4500年タイムスリップすると縄文時代の集落のど真ん中に降り立つと思うとゾクッとします。

発掘品はだいたい、調査隊によって、他所に持っていかれたようですね。この地に博物館なりが造られて、一括で管理されていた方がいいのにね。バラバラにしたら繋がりが判らなくなってしまう。せっかくの遺跡地が単なる記念公園と化してしまいました。

看板はありますが、どこの説明をしているのかよく判りません。全体の説明マップがあると助かるのですが。消えて読めなくなった看板もありました。

●貝殻を見つけた

貝塚の跡が剥き出しなった場所を見つけました。まだまだ、たくさんの遺物がこの場所に残されているようです。中には土器や土偶の破片なんかも混じっているかもね。

1時間ほど粘って拾い集めてみましたが、貝殻ばかりでした。

家族で、夕食にこの貝の中身を食べたのでしょうか。どんなことを語り合っていたのでしょう。何となく気になります。

 

自転車往復:20km

御瀧不動尊と海老川の源流「御瀧不動尊金蔵寺」-「佐久間あいすくりーむ工房」

2022年10月22日(土)

「御瀧不動尊」なかなか、たどりつけなかった場所。過去、2回チャレンジしたが失敗した。1度目は真夏の炎天下に自転車で行こうとして途中、熱中症で気分が悪くなり、リタイヤした。2度目は近くまで来ているのに見つけられずに別の場所に行った。

昨日、GoogleMapを見ていたら一番最初に目に着いた。

やっと、時が来たと感じた。

■御瀧不動尊金蔵寺(表門)

千葉県船橋市金杉6-25-1

創建は、1423年(応永30年)。

海老川の源流となる小さな滝があります。

海老川は船橋では歴史のある川で、古代より人々が生活の糧を得る場として存在してきました。今もなお、水が湧き出ており自然の大いなる力を感じます。

(自転車はここからは入れないので、裏門の駐車場に止めてから歩いて入ります。)

参道は山道のように自然にあふれています。一般のお寺の参道のような人工的な参道とは雰囲気が違います。霊気を感じます。

■弁天池

参道の途中に弁天池があります。池の中のは六角形の弁天堂があります。

■行者滝

この滝が海老川の源流になります。御瀧不動尊の名前の由来でもあります。今もなお、確かに湧いており、水行も行われているようです。海老川の源流で水行、とても霊験がありそうです。

この小さな流れがあの大きな川の流れになるとは...不思議なものです。

お不動様と龍神が源流を守っています。

■仁王門

仁王様は右と左におられますが、お姿は拝むことはできませんでした。

水子地蔵

この世に生を受けることができなかった子供の供養塔があります。

■三重塔

平成30年4月に建立されました。船橋唯一の三重塔です。

馬頭観音

太平洋戦争にて戦地で亡くなった軍馬の慰霊塔だそうです。

観音堂

十一面観音菩薩が祀られています。

十一面観音菩薩はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされています。おいらが一番、心惹かれるお堂です。おいらの苦しみを取り除いて下さい。

■大師堂

元の本堂:不動堂です。現在は弘法大師をおまつりしています。

■本堂:不動堂

平成12年に建立されました。

■佐久間あいすくりーむ工房

千葉県船橋市三咲町433
営業時間:11:00-17:00
定休日:月曜日

帰りに「佐久間あいすくりーむ工房」に寄りました。

新京成線滝不動辺りに来るとこの建物がいつも気になっていました。

「佐久間牧場」が運営するアイスクリームの専門店です。毎回、お客さんが並んでいます。この建物の裏に「佐久間牧場」があります。

撮影許可を頂きました。

メニューは

 「ピスタチオ、抹茶、ラッテ、コーヒー、しお、イチゴミルク、キャラメル、チョコチップ、ココア、丹波の黒豆、ボイセンベリー、(クレーマフロマッジョクリームチーズ

・シングル    320円

・ダブル     380円

・ソフトクリーム 300円

だそうです。(2022年10月23日現在)

スタンダードなソフトクリームを購入しました。300円です。牛乳の味が濃厚でおいしいです。

 

自転車往復:33km

秋の薔薇を見に行く「里見公園」

2022年10月16日(日)

どうも週末が雨になる。今回も金曜日が雨で、土曜日午前中鬱陶しい天気。出かける気にならなかった。日曜日は晴れだが、午後から月曜日に向けて雨になる予報。

曇っているけど、8:00に出発。午前中で戻る予定。

本日は「KhodaaBloom RAIL ACTIVE」がお供です。

妙典橋渡って江戸川の土手を走行。

相変わらず、釣り船多いね。

「アイ・リンクタウン」も鉛色の雲に覆われています。

江戸川サイクリングロードの途中に「里見公園」への案内板があります。

■里見公園に到着

里見公園は、戦国時代に里見家と小田原の北条氏が二度も戦った古戦場跡です。

昭和33年に公園となりました。江戸川サイクリングロードの近くになるので、よく立ち寄る場所です。

駐輪場です。早めに来ないと結構、止めるスペースがなくなってしまいます。自転車で来る人が多いようです。帰りに、駐輪場がいっぱいになっていて、出るのに苦労しました。

■噴水広場(薔薇園)

女性像の噴水を中心に、3つの小さな噴水があり、その周りに薔薇が植えられています。

撮影スポットの看板があります。アリバイ作りに最適です。

今は秋の薔薇が満開です。薔薇はボリュームがあって見栄えがしますね。

●女性像を中心に写真を撮ります。

唯一、女性像の顔が撮れた写真です。なぜ、この人は顔を見られないようなポーズをとっているのでしょう。しかも、噴水で尚更見えない。とても、ステキなのに...今まで気づかなかった。

台座には「水の詩」とタイトルが付いています。

●薔薇をアップで撮ってみます。

■芝生広場

芝生広場の花壇にも、花が植えてあります。ただ、説明看板がなかったので、撮影時はなんの花か判りませんでした。Googleで画像検索したところ、千寿菊「センジュギク」みたいですね。

サルビア

芝生の所々に、赤い植物が生えていました。これも、Googleで画像検索したところ、「サルビア」であることが判りました。植える植物の苗にサルビアの種が混じっていたのでしょうか。でも、キレイです。

11時になると、薔薇の見学に団体客が大勢来たので、さっさと退散です。

 

自転車往復:20km