街の小さな移ろいに気付きたい

『還暦ライダー』の生存確認日記

入日神社「日本武尊が船橋に上陸した地」

2021年12月26日(日)

日本武尊が上陸した地

この地はかつて、日本武尊が東征征伐のおり、横須賀の走水から軍船を仕立て、上総の木更津辺りに到着し、再び、海に出て常陸の国へ赴く途中、この船橋の地に上陸したことが伝わっています。

古事記」や「日本書記」には木更津到着から常陸の国への道程が抜け落ちています。

神社や地元の伝承を探ると、その道程を知ることができます。

そして、日本武尊が、上陸した場所が「入日神社」になったとされています。

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入日神社の由来の石碑には下記のように書かれています。

「当町鎮守「式内元宮入日神社」は皇統第十二代景行天皇の王子日本武尊が東夷御征討の砌り伊勢湾方面より海路を利用し先ず上総の国に上陸、次いで軍団は上総の国を出帆せられ下総の国に入るに及んでこの地に上陸された。上陸地点は現在地に当ると伝へられている。その後村人によって日本武尊の上陸を記念し且つその御偉徳を偲び併せて郷土守護、五穀豊穣、豊漁の神として社を建立し崇拝して来たのが即ち入日神社である。祭神は天照大神日本武尊を祀り古くから船橋大神宮意富比の元宮と言ひ伝えられている。」

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上の地図は、海抜を4m程上げて、昔の海岸線を再現したおいらが作った想像図です。

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印旛沼を渡って常陸の国へ

いろいろ、伝承を纏めてみると下記のようになります。

①入日神社の場所を示します。日本武尊は上総から軍船で、ここまで来て上陸したものと思われます。

②その後、日本武尊軍は「夏見」まで移動し、葛飾の賊と戦っていると、農民たちが近寄ってきて、日照りにより農作物が取れず、疫病に苦しんでいることを日本武尊に伝えた。日本武尊が儀式により「逆徒調伏と降雨」を願うと雨が降り、農民たちは大いに喜んだ。また、海上無人の小さな船が現れ、その中に八咫鏡があり、それを持ち帰り祠を建立したという。その後、その祠は場所を変え、現在の意富比神社の場所に移った。

日本武尊軍は印旛沼から、再び、軍船を仕立てて、香取の海を渡って、常陸の国へ行った。

「夏見周辺」はその後、伊勢神宮の荘園となり「夏見御厨(なつみみくりや)」として室町時代まで栄えた。

■2026年に米ヶ崎に東葉高速鉄道の新駅ができる

2026年に米ヶ崎に東葉高速鉄道の新駅ができるらしい。老朽化した船橋市立医療センターが建て替えで、米ヶ崎に移転してくる。

新駅のテーマは「医療と健康」らしい。どんな駅名になるのだろう。

未来を見据えたテーマもよいが、「日本武尊」や「夏見御厨」の古い伝承があることも忘れないでほしい。

 

自転車:20km