街の小さな移ろいに気付きたい

『還暦ライダー』の生存確認日記

船尾(船穂)「日本武尊の軍船が通過した街」

2021年12月31日(金)(1)

千葉ニュータウン中央駅まで「輪行

本日は2か所に訪問した。

まずは、北総鉄道 千葉ニュータウン中央駅まで「輪行」です。

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■船尾(船穂)という地名

行先は船尾(船穂)という地名の場所。

船尾(船穂)という地名に日本武尊の伝承の意味が隠されている。

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f:id:haranbanjyokirikirimai:20211231203951j:plain■船尾宗像神社

印旛沼周辺には宗像神社が13社あるらしい。

かつて、大和朝廷が東北攻略の水路確保のために、この地に勧請されたとされている。

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印旛沼(新川)に架かる橋にて

県道4号線を南に下り、印旛沼があったであろう新川の橋まで行く。

この地に、日本武尊の軍船が通ったという伝承が残っている。

『千葉県印旛郡誌』の中に神代文字で書かれた古文が載っている。

その中には日本武尊の伝承もあり、この地に軍船が来たときの出来事も書かれている。

神代文字にはルビがふってあるので、軍船が来たときの部分を抜き出して、おいらなりに訳を付けてみた。

コノウラノ(ナドリフネ)ニ、(ミエクサ)ヲノセテ、ワタラセタマフトキニ、ソノ(フネ)ノトホクツヅキシカバ、(フネ)ノ(ヲ)ナカシトノタマヘケル
この浦のナドリフネに、ミエクサを乗せて、渡っているときに、船が遠く続いていたので、「船の尾があんなに長いように見える」を仰った。

ミコト(クヌカ)ニアガリテ、カヘリミタマフトキニ、(ミヅトリ)ノ(サワ)ニツトヘオリシヲ、ミソナワシテ、(ハタ)ニ(シルシ)アルガコトシトノリタマヒテ
命が陸に上がって、振りかえったときに、水鳥が沢に集っているのをご覧になって、「旗に印があるように見える」と仰った。

「船の尾があんなに長いように見える」が街の名の船尾(船穂)になったと思われる。この橋の名前も「神尾橋」という。意味深な名前だ。

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船尾宗像神社の方向です。

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昔の印旛沼の状態を再現してみた。あくまでも軍船が通ったとされる経路を推測するために作ったので、根拠のある地図ではない。

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