2026年9月21日(月)(敬老の日)
今年の9月は雨がずーっと続く日々でした。やることがなかったので、昔のブログを見直していました。特に伝承系のブログは自分の思いが表現できずに終わっているものが多かったので、ChatGPTで画像化して補足してみました。
■椿海の物語
これはオイラがブログを始める前(2018年)に訪問した場所です。
椿海に関わった三柱の神様の昔話、その後椿海に起こった干拓(干潟八万石)の物語です。
【椿海の物語】
「遠い昔、海上(うなかみ)、匝瑳(そうさ)、香取の三郡にまたがる枝をもった大きな椿の木があった。この木は、猿田彦命が国を分ける時に、国境に植えたものだと伝えられている。
日本の三大木の一つにあげられ、いつも天上には雲や霞がかかり、昼でも夜のように暗かったそうだ。
鬼満国(おにまんこく)の魔王は、日本の国を滅ぼして、自分の国にしようと、この椿の木住みついて長い間狙っていた。そこで、海上の国におった猿田彦命は、香取の経津主命(ふつぬしのみこと)、鹿島の建御雷命(たけみかずちのみこと)の力をかりて、魔王を退治することにした。
さっそく、二神は魔王に戦いを挑んで、天(てん)の鹿島弓(かしまゆみ)という力の強い弓に、天の羽々矢(ははや)という羽の広い大きな矢をつがえて魔王目掛けて打ち続けた。魔王は、堪らず椿の木を根こそぎ引っくり返して、東の海へ飛び去ってしまった。そして、椿の木が抜けた跡に水が溜まり、大きな湖となり、それが椿の湖と言われるようになった。椿の木の倒れた方向によって、上の方が上総、下の方が下総と呼ばれている。見事に魔王を退治した香取、鹿島の二神は、これよりこの地方の守護神として崇められるようになった」
【椿海の干拓(干潟八万石)】
そんな神々の伝説を持つ椿海に干拓の話が持ち上がりました。江戸時代、江戸の急速な人口増加により「米の増産」が必要だからです。寛文9年(1669年)頃に正式な許可が下りました。
干拓工事は、途中で一気に水が流れ出して下流の村を襲う大洪水を引き起こしました。洪水が引いた翌年の寛文11年(1671年)春、今度は真逆の深刻な水不足(干害)が周辺地域を襲いました。農民たちが「このままでは餓死してしまう」と幕府へ何度も窮状を訴え出る事態となりました。
まるで、神々の怒りが爆発したようです。
発生から約3〜4年後の延宝元年(1673年)頃に一旦の落ち着きを見せました。しかし、根本的な「水不足」や「大雨による水没(水害)」の構造そのものは解決しませんでした。形を変えながら昭和26年(1951年)に「大利根用水」が完成するまでの約280年間にわたって地域の人々を悩ませ続けました。
干潟八万石と呼ばれた経緯は当初、「この干潟が完成すれば八万石の収穫ある」という誇張から始まったようです。実際は二万石程度だったとも言われています。
そんな、猿田彦命、経津主命、建御雷命をモチーフにしたローカル戦隊ヒーローを作ってとChatGPTにお願いしてみました。頼みもしないのに合体ロボットまで作ってくれました。


●猿田神社
「猿田彦命」が祀られる神社です。この房総の地を納めるために降臨されました。




御神砂をいただく場所です。この砂は「猿田彦命」が降臨した場所の砂だそうです。2018年の時はこのように自分で採取できましたが、今は社務所でいただけるようです。猿田彦命のパワーがいただけます。

●香取神宮
祭神は「経津主命」です。出雲での国譲りに貢献した神様です。その功績により、東国の軍事の要である香取神宮を任されています。



要石です。鹿島神宮のものと対になっており、地中にいる大ナマズの頭を押さえて大地震を鎮めているといわれています。香取神宮は凸型、鹿島神宮が凹型になっています。

●鹿島神宮

「経津主命」と共に国譲りに関わった「建御雷命」を祀っています。




大ナマズの頭を抑える建御雷命。

要石です。ここのは凹型になっています。

■千葉に残る弟橘姫の伝説
【千葉に残る弟橘姫の伝説】
古事記や日本書紀に記されている日本武尊の伝説。
相模から上総に渡る際一行は海を渡った。
海は海神によって大いに荒れた。
船は進めなくなった。
そんな海を鎮めるため、弟橘姫は海に入った。
そして、弟橘姫の命と引き換えに海は静まった。
そのおかげで、船は無事に上総に着いた。
古事記や日本書紀では話はここで終わっている。
しかし、渡った上総には様々な伝承が残っている。
【上総(千葉)に伝わる伝承】
[蘇我比咩神社]
・弟橘姫は帯同して来た五人の姫達と共に身を海中に投じた。
・その五人の中に蘇我大臣の娘たる比咩がおり、この海岸に打ち上げられ里人等の手厚い看護で蘇生した。
[地元の伝承]
・他の同行した姫達も姉ヶ崎、五井、八幡の海岸に打ち上げられ命を救われた。
[島穴神社]
・弟橘姫命が大和国の風鎮めの神・龍田大社を遥かに拝み、安全に上総国まで航行させてくれるならば必ずその地に風鎮めの神をお祭りすると約束して海中に身を投ぜられました。
・日本武尊は、弟橘姫命のご遺志の通りこの地に志那都比古尊を祭る当宮をご創祀された。
[姉埼神社]
・日本武尊が御東征の砌、舟軍の航行安全を祈願し、風神志那斗弁命をここに祀った。
[袖ヶ浦市・習志野市袖ヶ浦]
・弟橘姫のちぎれた袖が右と左、別々の海岸に流れ着いた。
そんな、伝承をChatGPTで絵にしてみました。
・海神と風鎮めの神:志那都比古尊と志那斗弁命の対峙
・弟橘姫を救おうとする志那斗弁命
・弟橘姫を海中に引きずり込もうとする海神
・五人の姫達を救う志那都比古尊と志那斗弁命
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■やらかしオヤジ水戸光圀
「水戸黄門は歴史を書き換えるやらかしオヤジ」
水戸光圀は「水戸黄門漫遊記」での諸国を回り世直しをした物語が有名ですが、私にとっては、歴史に手を加えようとした「やらかしオヤジ」です。
私が訪問した場所にも水戸光圀は先んじて来ており、だいたい「やらかし」ています。また来てる、このオヤジ...って感じです。
・不知八幡森
市川市の禁則地(入ると祟りのある地)である「不知八幡森」では、光圀は祟りは迷信だと言って禁則地に入ります。その夜の夢枕に白髪の老人が現れ叱責されたとの伝承が残っています。
・鹿島神宮の要石の件
大鯰の頭を襲えこんで、地震を鎮めているとされる要石ですが、光圀はどこまで埋まっているか確かめるために、7日7晩掘らせた。
・東征神社の日本武尊の軍船
那珂川の上流にある東征神社、ここまで軍船で来た日本武尊はここに軍船を埋めて陸路を行ったとされるのですが、光圀は本当に、軍船が埋まっているかどうか確かめるために掘らせたそうです。
・真の茂侶神社はどこ
平安時代に記された「延喜式神名帳」に下総国の「茂侶神社」が記されているのですが、現在、茂侶神社は三つ存在します。(船橋市、松戸市、流山市)
光圀は松戸市にある茂侶神社を真の茂侶神社であると勝手に認定し、水戸家より代々祭典料が納められていました。
他にも調べてみると...
『大日本史』の編纂方針(光圀が発起人で水戸藩が編纂)
・「大友皇子は皇子じゃない。天皇だったことにしよう」
・「南朝が正統! 歴史の勝敗を決めてしまおう」
※明治政府がこれを参考にして正式に南朝が正統としてしまった。
・「神功皇后、歴代天皇(本紀)から除外する」
史跡は勝手掘りおこす。(鹿島神宮の要石、東征神社の軍船も含めて)
・「那須国造の墓がある? では、掘って確かめよう」
朝廷儀礼を調べて『礼儀類典』515巻
・「朝廷の昔の儀式が廃れている? じゃあ調べて復活できるようにしよう」
何事にも興味があるのは良いことですが、歴史に手を加えちゃうとね、時空がねじ曲がってしまう。タイムパトロールが実際にいたなら、追いかけられる立場だよね。そんな、絵をChatGPTに作ってもらいました。
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■神様の通った道
東京都江戸川区に鹿骨(ししぼね)という土地があります。
かつて、鹿島神宮の武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が春日大社に勧請する際にこの地を通ったらしい。
その際に神幸行列を導いていた神鹿が急病で亡くなったのですが、村人が丁重に弔ったとのことです。
※神鹿を葬った場所ということで「鹿骨」となった。
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■印旛沼の龍伝説
最初の目的は辰年の初めに龍のオブジェを見に行く単純な目的だった。
しかし、そこには飢饉で苦しむ村人を救うために龍王に逆らって、天に昇り雨を降らせた小龍の物語があった。小龍は龍王の怒りに触れ、稲妻に撃たれ三つに裂かれ地上に落ちていった。その亡骸は三つの村に分かれて落ちた。
その物語は三つの村のお寺に伝承として残っていた。
また、それぞれのお寺に参って伝承を確かめたい。
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