2026年2月21日(土)
2年前に「野菊の墓」巡りでここに来ましたが、あの時は初めてで見逃したところもあったので、再度、勉強し直してやってきました。野菊の墓は、作家伊藤左千夫が明治39年に発表した小説で、15歳の少年・政夫と17歳の少女・民子の淡く悲しい初恋を描いた物語です。
【地図】

■野菊の墓の聖地を巡ります
江戸川の土手を松戸まで走ると建物がなくなり、一面に畑が広がる平野が現れます。ここは小説「野菊の墓」の舞台になったとされる矢切地区になります。ここから、所縁の場所を巡っていきます。

●矢切の渡し
中学に進学するために村を離れることになった正夫を、民子が渡し場まで見送りに行きます。それが、最後の別れになるとも知らずに...


今でも、葛飾側(柴又帝釈天)から松戸側(矢切)を運行しています。時期によって、運航日が変わります。夏季は毎日ですが、冬季は土日祝だったと思います。



●「野菊の墓」石碑
前回はこの石碑が見つけられませんでした。どうやら、設置場所が変わっているようです。「野菊のこみち」の地図が付いていますが、現在のものとは異なるので注意が必要です。オイラが掲示した地図の青線が実際の道線になります。



●野菊のこみち
野菊のこみちには曲がり角に「道標」が設置されています。地図上の青丸がそれになります。また、道は畑のあぜ道になります。農作業の軽トラックが入ってきたりするので、あまりお勧めできません。赤線沿いに進んだ方がよいようです。




●矢切橋
坂川に架かる橋が「矢切橋」になります。欄干には野菊と矢切の渡し船のレリーフが施されています。


橋の袂に「野菊の墓」の最も有名な「民さんは野菊のような人だ」のフレーズが刻まれています。


平坦な畑の広がる牧歌的な風景と、遠くに見えるビル群の景色が印象的です。


●野菊の墓文学碑
この辺の景色が正夫が住んでいたであろう高台の景色になります。野菊苑にある「渋谷金蔵翁之像」越しに矢切地区がよく見えます。(渋谷氏は矢切地区の整備事業に貢献された方です。)

正夫と民子が待ち合わせをした大きな銀杏の樹はこの裏手にある「西蓮寺」の近くにあったとされています。
傍らの石碑は民子のモデルになった「美恵さん」を慕う妹の光江さんの句碑といわれています。
他の文献では民子のモデルは伊藤左千夫の生家の近所に住んでいた「みつさん」、実際に矢切に住んでいた「さきさん」ではないかという説があります。
どうなんでしょう。

●矢喰村庚申塚


「やすらぎの像」は1986年(昭和61年)、かつて激しい戦い(国府台合戦)の舞台となったこの地の苦難の歴史を伝え、「平和としあわせ」を祈るシンボルとして庚申塚保存会によって建てられたそうですが、二人の構図と両脇に薄っすら彫られている花の絵がりんどうと野菊に見えて、オイラには正夫と民子を思わせるんだが...
※民子は正夫をりんどうの花に例えています。

■水上勉旧居跡
北総線の矢切駅まで来ました。ここで、もう一つ文学に関わるものに行きつきました。作家水上勉は昭和32年(1957)から約2年間松戸市下矢切に在住していました。その間に推理小説「霧と影」を発表し作家として一躍脚光を浴びることになります。作品「霧と影」や自叙伝「私の履歴書」「冬日の道」などには矢切時代のことや松戸の地名が書かれています。その碑がここにあります。


自転車往復:28km