おいらの自転車旅は急がず慌てずゆったりと物語を味わう

『輪行旅』ですが、コロナが落ち着くまでは近場の旅

「ニッケコルトンプラザ」でお買い物

2022年1月15日(土)

本日はKhodaaBloom RAIL ACTIVEで、「ニッケコルトンプラザ」にお買い物です。

市川市で最も有名な商業施設です。

ニッケコルトンプラザ

JR本八幡とJR下総中山の中間にあります。

開業して、35年余り、初めて行ったのは20年前、当時は車に乗っていたので、土日は駐車場に入るのにかなり並んだくらい盛況でした。

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ダイエーの看板が最近は懐かしく思えてきた。ほとんど、イオンに変わっちゃったからね。看板に錆が出ているのが痛々しい。

まだ、ダイエーの雰囲気が残っている店舗です。関西出身のおいらには懐かしいにおいがする。

■商業施設だけじゃなく、アウトモールも楽しい。

周辺の施設も充実していて、いろいろ楽しめます。

買い物が済んでから、1時間ほど、ウロウロしてました。

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コルトン広場のシンボルです。

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「鎮守の森」なんかもあります。散策が楽しい。

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「鎮守の森」には「おりひめ神社」があります。

元の工場で祀られていた神社だそうです。繊維工場だったから「おりひめ」なんでしょう。

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敷地内にテーブルが設置されていて、自由に食事ができるようになっています。

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アウトモールも楽しい。「房の駅」で千葉の名産品も買えます。

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季節のイベントも定期的に行われています。今はアイススケートと各地域の名産店が開かれています。

■本日のお買い物

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福家書店で、ジャガー自伝 みんな元気かぁ~い」を見つけました。

書店の正面に平積みで宣伝してました。

市川のヒーローですから、これは買わねばなりません。

ジャガー星に帰って元気にしているかな。

 

自転車往復:12km

 

 

 

 

高根木戸第3号公園「通称:怪獣公園」

2022年1月10日(月)(祝)

■本年、初走行です

雪の影響もようやく、落ち着いてきたので、自転車で走ることにしました。

今年に入って、20kmも走っていないので、本日は30km以上を目標に走りました。

妙典から高根木戸まで、片道15km程度、標高差25kmの登りになります。

芝山団地入口の交差点からが、急激な登りになります。

高根木戸第3号公園(通称:怪獣公園)に行く

高根木戸公団住宅(UR)の団地があって要所要所で公園が設置されているみたい。

怪獣公園と言ってますが、恐竜公園ですね。

恐竜のオブジェがあるということなので行ってみました。

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むかしは、柵がなくて乗って遊べたそうですが、今は柵で囲まれて入れなくなっています。

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首長竜(アパトサウルス)風の恐竜。おいらの時代ではブロントサウルスと言ってましたが、今はアパトサウルスというみたいです。

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鎧竜(トリケラトプス)風の恐竜です。

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この恐竜はなんなのかよく解りません。エドモントサウルス、ハドロサウルス等の口がカモノハシのような口をした草食系の恐竜でしょうか。

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公園の子供用のオブジェとしては、リアルに近い形状で作ってありますね。

でも、それだけなので、それ以上でもそれ以下でもありません。

公園が第1号から第4号まであるのだから、それぞれになんらかのオブジェがあるといいですね。公園巡りして、散策するのもよいかも。

 

それにしても、寒かった。グローブしてても、手が痺れてきました。

自転車往復32kmです。

 

 

厄払いの御祈祷をお願いしました

2022年1月8日(土)

■関東は大雪

昨日は関東地方は大雪。

一日たって、路面は凍結。とても滑りやすい。

関西出身のおいらがビックリしたのがこの現象。

大阪中心街なら、大雪降っても、翌日はべちゃべちゃになる。凍結するなんて滅多になかった。

と、いうことで、本日は自転車に乗らない。

危ない時には乗らないってことも、大切なこと。

でも、行かねばならないところがある。

■今年は「本厄」だった。

おいらは、今年、本厄。

昨年から、変な感じはしていたんだけど、やたら人と揉める。

何でもないことで、言い合いになることが多かった。

「何でかなぁ」と思っていたら、前厄だった。

気付いたのが年末だったので、本厄から御祈祷をお願いした。

■意富比神社で厄払いの御祈祷

船橋の意富比神社で厄除け祈願をお願いした。

受付で、手続きして、初穂料をお納めしたら、巫女さんから

「待合室への行き方はお判りになりますよね」と言われた。

御祈祷なんて、しょっちゅうするものではないので、何度か御祈祷をお願いしたのを覚えていてくれたのかな。

ちょっと、嬉しかった。

船橋の意富比神社は予約なしで御祈祷をお願いできます。

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今年が、よい年になりますように...。

 

自転車0km

 

吾妻神社(成田)「上総下総の物語は弟橘姫に始まり弟橘姫に終わる」

2021年12月31日(金)(2)

■本日、2度目の「輪行

引き続き、千葉ニュータウン中央駅から成田湯川駅まで「輪行」です。

目的地は吾妻神社(成田)。

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■吾妻神社(成田)

日本武尊の妻、弟橘姫を祀る神社です。

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吾妻神社の由来の看板の文字をおこします。

「吾妻神社の由来

 吾妻神社は、第十二代景行天皇の皇子(みこ)である日本武尊と妃の弟橘姫の二神を祭神としています。日本武尊が東征の折り、ここ下総に至り、印波湖(いんばのうみ)(印旛沼)を渡って北上し常陸に軍団を進めるとき、かつて、相模の走水から対岸の上総(かみつふさ)へ渡る際に、波が荒れて船を進めることができませんでした。その時、妃の弟橘姫が、海神の怒りを鎮めようと自ら身を投じて海難を救いました。その健気な姫の面影を偲び、尊は、この地にも塚を築いて遺品をを納め、祠を建てて姫を祀ったのがこの神社の創めと伝えられています。また、無事に上総の地に着いた尊は、姫が身を投げた海辺に立ち「君さらず袖しがらみに立つ浪の その面影を見るぞ悲しき」という歌を詠み、その歌が地名の由来になったという木更津市にも、姫の故事に因んだ本宮とも言うべき吾妻神社があります。

 時を経て、大正の初期に塚の周辺も荒れ、塚上にあった祠も損壊したため、氏子らの協力を得て塚を築き、お宮を新たに建てて日本武尊を合祀しました。以来、夫婦和合、家運繁昌の神さまとして崇敬をあつめ、近郷近在からの参詣客が年ごとに増えました。古老の話によると、縁日の時には、南側に伸びていた約五十メートル程の参道に、数十軒の出店が立ち並び大層賑わったといいます。

 日本武尊は、大和政権による国内統一に献身した古代における伝説上の勇者としてよく知られており、数多くの物語に登場します。神社の西側にある古墳は天王塚というる前方後円墳ですが、この地域一帯は、昔から公津が原とよばれ大小様々な古墳がたくさんありましたが現在は、四十基が千葉県指定史跡として保存されています。

 神社の北方には、昭和三十七年、東日本で初めて発見された八代玉作遺跡(やつしろたまつくりいせき)があり、成田ニュータウン内の発掘調査成果と併せて、この地域が吾妻神社の由来を裏付けるように大和政権による東国進出の道筋であったと言うことができます。

 平成十五年三月    吾妻神社/成田市教育委員会

この神社の由来には重要なことが書かれていました。

日本武尊印旛沼を北上して、常陸の国へ行ったということです。

この神社を見つけるまで、印旛沼を渡ったという証拠が見つかりませんでした。

そのことが、由来にズバリと書いてあったのです。

その後、船尾の伝承が見つかった。

また、走水で弟橘姫がいのちを掛けて守った船を、印旛沼に入るにあたって日本武尊は諦めることができたのか。

おいらもずいぶん考えた。印旛沼に大きな軍船を運ぶには距離がありすぎる。

新たに軍船を印旛沼で調達した方がよいのであろう。

船との別れは弟橘姫との二度目の別れに他ならない。それが、再度の祀りにつながったのだろうか。

この後、印旛沼と繋がっているであろう香取の海に出て、軍船は常陸の国へ向かった。

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前方後円墳

公津には古墳群があって、それらは前方後円墳前方後円墳大和朝廷の象徴。

天王塚は吾妻神社のとなりに存在する。この地域が大和政権との繋がりが深いことが伺える。

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昔の印旛沼の状態を再現してみた。あくまでも軍船が通ったとされる経路を推測するために作ったので、根拠のある地図ではない。
■帰りは京成成田駅から

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帰りは京成成田駅から「輪行」で帰った。

北総鉄道は高いなぁ。

 

自転車(1)と(2)で28km

 

船尾(船穂)「日本武尊の軍船が通過した街」

2021年12月31日(金)(1)

千葉ニュータウン中央駅まで「輪行

本日は2か所に訪問した。

まずは、北総鉄道 千葉ニュータウン中央駅まで「輪行」です。

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■船尾(船穂)という地名

行先は船尾(船穂)という地名の場所。

船尾(船穂)という地名に日本武尊の伝承の意味が隠されている。

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f:id:haranbanjyokirikirimai:20211231203951j:plain■船尾宗像神社

印旛沼周辺には宗像神社が13社あるらしい。

かつて、大和朝廷が東北攻略の水路確保のために、この地に勧請されたとされている。

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印旛沼(新川)に架かる橋にて

県道4号線を南に下り、印旛沼があったであろう新川の橋まで行く。

この地に、日本武尊の軍船が通ったという伝承が残っている。

『千葉県印旛郡誌』の中に神代文字で書かれた古文が載っている。

その中には日本武尊の伝承もあり、この地に軍船が来たときの出来事も書かれている。

神代文字にはルビがふってあるので、軍船が来たときの部分を抜き出して、おいらなりに訳を付けてみた。

コノウラノ(ナドリフネ)ニ、(ミエクサ)ヲノセテ、ワタラセタマフトキニ、ソノ(フネ)ノトホクツヅキシカバ、(フネ)ノ(ヲ)ナカシトノタマヘケル
この浦のナドリフネに、ミエクサを乗せて、渡っているときに、船が遠く続いていたので、「船の尾があんなに長いように見える」を仰った。

ミコト(クヌカ)ニアガリテ、カヘリミタマフトキニ、(ミヅトリ)ノ(サワ)ニツトヘオリシヲ、ミソナワシテ、(ハタ)ニ(シルシ)アルガコトシトノリタマヒテ
命が陸に上がって、振りかえったときに、水鳥が沢に集っているのをご覧になって、「旗に印があるように見える」と仰った。

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「船の尾があんなに長いように見える」が街の名の船尾(船穂)になったと思われる。この橋の名前も「神尾橋」という。意味深な名前だ。

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船尾宗像神社の方向です。

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昔の印旛沼の状態を再現してみた。あくまでも軍船が通ったとされる経路を推測するために作ったので、根拠のある地図ではない。



入日神社「日本武尊が船橋に上陸した地」

2021年12月26日(日)

日本武尊が上陸した地

この地はかつて、日本武尊が東征征伐のおり、横須賀の走水から軍船を仕立て、上総の木更津辺りに到着し、再び、海に出て常陸の国へ赴く途中、この船橋の地に上陸したことが伝わっています。

古事記」や「日本書記」には木更津到着から常陸の国への道程が抜け落ちています。

神社や地元の伝承を探ると、その道程を知ることができます。

そして、日本武尊が、上陸した場所が「入日神社」になったとされています。

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入日神社の由来の石碑には下記のように書かれています。

「当町鎮守「式内元宮入日神社」は皇統第十二代景行天皇の王子日本武尊が東夷御征討の砌り伊勢湾方面より海路を利用し先ず上総の国に上陸、次いで軍団は上総の国を出帆せられ下総の国に入るに及んでこの地に上陸された。上陸地点は現在地に当ると伝へられている。その後村人によって日本武尊の上陸を記念し且つその御偉徳を偲び併せて郷土守護、五穀豊穣、豊漁の神として社を建立し崇拝して来たのが即ち入日神社である。祭神は天照大神日本武尊を祀り古くから船橋大神宮意富比の元宮と言ひ伝えられている。」

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上の地図は、海抜を4m程上げて、昔の海岸線を再現したおいらが作った想像図です。

印旛沼を渡って常陸の国へ

いろいろ、伝承を纏めてみると下記のようになります。

①入日神社の場所を示します。日本武尊は上総から軍船で、ここまで来て上陸したものと思われます。

②その後、日本武尊軍は「夏見」まで移動し、葛飾の賊と戦っていると、農民たちが近寄ってきて、日照りにより農作物が取れず、疫病に苦しんでいることを日本武尊に伝えた。日本武尊が儀式により「逆徒調伏と降雨」を願うと雨が降り、農民たちは大いに喜んだ。また、海上無人の小さな船が現れ、その中に八咫鏡があり、それを持ち帰り祠を建立したという。その後、その祠は場所を変え、現在の意富比神社の場所に移った。

日本武尊軍は印旛沼から、再び、軍船を仕立てて、香取の海を渡って、常陸の国へ行った。

「夏見周辺」はその後、伊勢神宮の荘園となり「夏見御厨(なつみみくりや)」として室町時代まで栄えた。

■2026年に米ヶ崎に東葉高速鉄道の新駅ができる

2026年に米ヶ崎に東葉高速鉄道の新駅ができるらしい。老朽化した船橋市立医療センターが建て替えで、米ヶ崎に移転してくる。

新駅のテーマは「医療と健康」らしい。どんな駅名になるのだろう。

未来を見据えたテーマもよいが、「日本武尊」や「夏見御厨」の古い伝承があることも忘れないでほしい。

 

自転車:20km

まだ、コロナで帰れん

2021年12月25日(土)

■最後に実家に戻ったのは...

今年の年末も、故郷には戻れそうにない。

オミクロン株とやらが広がりはじめて、帰郷はやめた。

感染よりも、濃厚接触者になって、数日隔離されるのが厄介だ。

仕事にも影響するしね。

最後に実家に戻ったのは2018年の12月だった。

5年間携わったプロジェクトが終焉を迎え、12月末でプロジェクトを退場することになった。

それで、退場前に実家に戻って、あいさつ回りする際に渡す土産を買うために宝塚に行った。

JR宝塚駅

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阪急宝塚駅

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宝塚歌劇

宝塚と言えば、宝塚歌劇

幼い頃、よく母親に連れられて、宝塚歌劇を見に行った。

眩い舞台を、食い入るように見ていたのを覚えている。

また、観劇してみたいが、男一人じゃ行けないよね。

今はもうないけど、「宝塚ファミリーランド」という遊園地があってよく小学生のころ友達と遊びに行った。思い出のある場所だ。

宝塚ゆめ広場

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工事中の宝塚大劇場

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宝塚大劇場に行って、土産でも買おうと思っていたんだけど、運悪く、大改装中で、中には入れなくて、館内のショップも利用できなかった。

手塚治虫記念館

宝塚は漫画家の手塚治虫氏の出身地。宝塚大劇場の近くに記念館がある。

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手塚治虫記念館を見物して、ショップで土産を買って、帰った。

 

気兼ねなく、帰れるのはいつのことか。