雨降ってどこにも行けないので妄想劇場をお送りします

2026年9月21日(月)(敬老の日)
今年の9月は雨がずーっと続く日々でした。やることがなかったので、昔のブログを見直していました。特に伝承系のブログは自分の思いが表現できずに終わっているものが多かったので、ChatGPTで画像化して補足してみました。
■椿海の物語

これはオイラがブログを始める前(2018年)に訪問した場所です。
椿海に関わった三柱の神様の昔話、その後椿海に起こった干拓(干潟八万石)の物語です。


【椿海の物語】
「遠い昔、海上(うなかみ)、匝瑳(そうさ)、香取の三郡にまたがる枝をもった大きな椿の木があった。この木は、猿田彦命が国を分ける時に、国境に植えたものだと伝えられている。
日本の三大木の一つにあげられ、いつも天上には雲や霞がかかり、昼でも夜のように暗かったそうだ。
鬼満国(おにまんこく)の魔王は、日本の国を滅ぼして、自分の国にしようと、この椿の木住みついて長い間狙っていた。そこで、海上の国におった猿田彦命は、香取の経津主命(ふつぬしのみこと)、鹿島の建御雷命(たけみかずちのみこと)の力をかりて、魔王を退治することにした。
さっそく、二神は魔王に戦いを挑んで、天(てん)の鹿島弓(かしまゆみ)という力の強い弓に、天の羽々矢(ははや)という羽の広い大きな矢をつがえて魔王目掛けて打ち続けた。魔王は、堪らず椿の木を根こそぎ引っくり返して、東の海へ飛び去ってしまった。そして、椿の木が抜けた跡に水が溜まり、大きな湖となり、それが椿の湖と言われるようになった。椿の木の倒れた方向によって、上の方が上総、下の方が下総と呼ばれている。見事に魔王を退治した香取、鹿島の二神は、これよりこの地方の守護神として崇められるようになった」

 

【椿海の干拓(干潟八万石)】
そんな神々の伝説を持つ椿海に干拓の話が持ち上がりました。江戸時代、江戸の急速な人口増加により「米の増産」が必要だからです。寛文9年(1669年)頃に正式な許可が下りました。
干拓工事は、途中で一気に水が流れ出して下流の村を襲う大洪水を引き起こしました。洪水が引いた翌年の寛文11年(1671年)春、今度は真逆の深刻な水不足(干害)が周辺地域を襲いました。農民たちが「このままでは餓死してしまう」と幕府へ何度も窮状を訴え出る事態となりました。
まるで、神々の怒りが爆発したようです。
発生から約3〜4年後の延宝元年(1673年)頃に一旦の落ち着きを見せました。しかし、根本的な「水不足」や「大雨による水没(水害)」の構造そのものは解決しませんでした。形を変えながら昭和26年(1951年)に「大利根用水」が完成するまでの約280年間にわたって地域の人々を悩ませ続けました。
干潟八万石と呼ばれた経緯は当初、「この干潟が完成すれば八万石の収穫ある」という誇張から始まったようです。実際は二万石程度だったとも言われています。

 

そんな、猿田彦命、経津主命、建御雷命をモチーフにしたローカル戦隊ヒーローを作ってとChatGPTにお願いしてみました。頼みもしないのに合体ロボットまで作ってくれました。

●猿田神社

「猿田彦命」が祀られる神社です。この房総の地を納めるために降臨されました。

御神砂をいただく場所です。この砂は「猿田彦命」が降臨した場所の砂だそうです。2018年の時はこのように自分で採取できましたが、今は社務所でいただけるようです。猿田彦命のパワーがいただけます。

●香取神宮

祭神は「経津主命」です。出雲での国譲りに貢献した神様です。その功績により、東国の軍事の要である香取神宮を任されています。

要石です。鹿島神宮のものと対になっており、地中にいる大ナマズの頭を押さえて大地震を鎮めているといわれています。香取神宮は凸型、鹿島神宮が凹型になっています。

●鹿島神宮

「経津主命」と共に国譲りに関わった「建御雷命」を祀っています。

大ナマズの頭を抑える建御雷命。

要石です。ここのは凹型になっています。

■千葉に残る弟橘姫の伝説
【千葉に残る弟橘姫の伝説】
古事記や日本書紀に記されている日本武尊の伝説。
相模から上総に渡る際一行は海を渡った。
海は海神によって大いに荒れた。
船は進めなくなった。
そんな海を鎮めるため、弟橘姫は海に入った。
そして、弟橘姫の命と引き換えに海は静まった。
そのおかげで、船は無事に上総に着いた。

古事記や日本書紀では話はここで終わっている。
しかし、渡った上総には様々な伝承が残っている。

 

【上総(千葉)に伝わる伝承】
[蘇我比咩神社]
・弟橘姫は帯同して来た五人の姫達と共に身を海中に投じた。
・その五人の中に蘇我大臣の娘たる比咩がおり、この海岸に打ち上げられ里人等の手厚い看護で蘇生した。
[地元の伝承]
・他の同行した姫達も姉ヶ崎、五井、八幡の海岸に打ち上げられ命を救われた。
[島穴神社]
・弟橘姫命が大和国の風鎮めの神・龍田大社を遥かに拝み、安全に上総国まで航行させてくれるならば必ずその地に風鎮めの神をお祭りすると約束して海中に身を投ぜられました。
・日本武尊は、弟橘姫命のご遺志の通りこの地に志那都比古尊を祭る当宮をご創祀された。
[姉埼神社]
・日本武尊が御東征の砌、舟軍の航行安全を祈願し、風神志那斗弁命をここに祀った。
[袖ヶ浦市・習志野市袖ヶ浦]
・弟橘姫のちぎれた袖が右と左、別々の海岸に流れ着いた。

 

そんな、伝承をChatGPTで絵にしてみました。
・海神と風鎮めの神:志那都比古尊と志那斗弁命の対峙
・弟橘姫を救おうとする志那斗弁命
・弟橘姫を海中に引きずり込もうとする海神
・五人の姫達を救う志那都比古尊と志那斗弁命

 

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■やらかしオヤジ水戸光圀
「水戸黄門は歴史を書き換えるやらかしオヤジ」


水戸光圀は「水戸黄門漫遊記」での諸国を回り世直しをした物語が有名ですが、私にとっては、歴史に手を加えようとした「やらかしオヤジ」です。
私が訪問した場所にも水戸光圀は先んじて来ており、だいたい「やらかし」ています。また来てる、このオヤジ...って感じです。

 

・不知八幡森
市川市の禁則地(入ると祟りのある地)である「不知八幡森」では、光圀は祟りは迷信だと言って禁則地に入ります。その夜の夢枕に白髪の老人が現れ叱責されたとの伝承が残っています。
・鹿島神宮の要石の件
大鯰の頭を襲えこんで、地震を鎮めているとされる要石ですが、光圀はどこまで埋まっているか確かめるために、7日7晩掘らせた。
・東征神社の日本武尊の軍船
那珂川の上流にある東征神社、ここまで軍船で来た日本武尊はここに軍船を埋めて陸路を行ったとされるのですが、光圀は本当に、軍船が埋まっているかどうか確かめるために掘らせたそうです。
・真の茂侶神社はどこ
平安時代に記された「延喜式神名帳」に下総国の「茂侶神社」が記されているのですが、現在、茂侶神社は三つ存在します。(船橋市、松戸市、流山市)
光圀は松戸市にある茂侶神社を真の茂侶神社であると勝手に認定し、水戸家より代々祭典料が納められていました。

 

他にも調べてみると...
『大日本史』の編纂方針(光圀が発起人で水戸藩が編纂)
・「大友皇子は皇子じゃない。天皇だったことにしよう」
・「南朝が正統! 歴史の勝敗を決めてしまおう」
   ※明治政府がこれを参考にして正式に南朝が正統としてしまった。
・「神功皇后、歴代天皇(本紀)から除外する」
史跡は勝手掘りおこす。(鹿島神宮の要石、東征神社の軍船も含めて)
・「那須国造の墓がある? では、掘って確かめよう」
朝廷儀礼を調べて『礼儀類典』515巻
・「朝廷の昔の儀式が廃れている? じゃあ調べて復活できるようにしよう」

 

何事にも興味があるのは良いことですが、歴史に手を加えちゃうとね、時空がねじ曲がってしまう。タイムパトロールが実際にいたなら、追いかけられる立場だよね。そんな、絵をChatGPTに作ってもらいました。

 

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■神様の通った道
東京都江戸川区に鹿骨(ししぼね)という土地があります。
かつて、鹿島神宮の武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が春日大社に勧請する際にこの地を通ったらしい。
その際に神幸行列を導いていた神鹿が急病で亡くなったのですが、村人が丁重に弔ったとのことです。
※神鹿を葬った場所ということで「鹿骨」となった。

 

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■印旛沼の龍伝説

最初の目的は辰年の初めに龍のオブジェを見に行く単純な目的だった。

しかし、そこには飢饉で苦しむ村人を救うために龍王に逆らって、天に昇り雨を降らせた小龍の物語があった。小龍は龍王の怒りに触れ、稲妻に撃たれ三つに裂かれ地上に落ちていった。その亡骸は三つの村に分かれて落ちた。

その物語は三つの村のお寺に伝承として残っていた。

また、それぞれのお寺に参って伝承を確かめたい。

 

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子供の頃図鑑で見た神秘を大人になって見に行く「千葉県立中央博物館」

2026年9月5日(土)

9月になりましたが、今年の9月は雨が多そうです。こんな時は博物館や美術館のような展示系のイベントがいいですね。最近は展示物の撮影も許されることが多いのでとても嬉しいです。
今朝から霧のような雨が降ってます。傘をさすような雨ではありません。十分な雨支度をしてお出かけです。

【地図】

■千葉県立中央博物館

本日は「千葉県立中央博物館」来ました。7月から特別展示で恐竜の化石が展示されています。
令和8年度特別展 ちば恐竜博―驚異の捕食者(ハンター)たち―
開催期間:2026年7月11日(土)~9月27日(日)

●ケラトサウルス・マグニコルニス

博物館の入口に展示されています。
中生代ジュラ紀後期(約1億5,300万〜1億4,800万年前)の北アメリカ大陸に生息していた肉食恐竜です。
日本初公開となります。

子供なんんでしょうか。足元に小さな恐竜がいます。

●展示ルーム

展示ルームは1室のみですが、たくさんの展示が詰め込まれています。夏休みが終わって子供が少なくなっているかなと思いきや、やっぱり人気で多いですね。

●ゴルゴサウルス全身骨格

約7660万年前〜7500万年前の後期白亜紀に現在の北アメリカ西部(主にカナダ・アルバータ州など)に生息していたティラノサウルス科の肉食恐竜です。名前はギリシャ語で「恐ろしいトカゲ」を意味しています。
思わず「ゴルゴ13」と語源は同じかなと思いましたが、ゴルゴサウルスは「gorgos(ゴルゴス)」からい来ていますが、ゴルゴ13はキリストが処刑された丘の地名「ゴルゴダ(Golgotha)」が由来です。

●モササウルス全身骨格

約7,000万年前〜6,600万年前の白亜紀後期の海に生息していた巨大な海生爬虫類です。
「海のティラノサウルス」とも言われる最強の頂点捕食者のようです。
日本でも和歌山県などで化石が見つかっているようです。

●デイノニクス

約1億1,500万〜1億800万年前の白亜紀前期に北アメリカに生息していた、俊敏で高い知能を持つ肉食恐竜です。
映画「ジュラシックパーク」でピョンピョン飛び回っていたのはこいつのようです。

最近は恐竜には鳥のような羽毛があったと言われており、復元図にも羽毛に覆われた姿が多くなってます。

●ユタラプトル

約1億3,900万〜1億3,460万年前の前期白亜紀に現在の北アメリカ大陸(アメリカ・ユタ州)に生息していた最大級のドロマエオサウルス科(ラプトル類)の肉食恐竜です。名前には「ユタ州の泥棒(または捕食者)」という意味があります。

●エラスモサウルス

中生代白亜紀後期(約8,050万年前)の北アメリカの海に生息していた、史上最大級の首長竜(海生爬虫類)です。恐竜と同時代を生きましたが、生物学的には恐竜ではなくトカゲやヘビに近い種族です。

ここからは「頭骨」シリーズです。

●アロサウルス頭骨

●スピノサウルス復元頭骨

頭の大きさがわかるように来館者と共に撮ってみました。

●ティラノサウルス頭骨

●ダンクルオステウス頭骨

古生代デボン紀後期(約3億8,200万〜3億5,800万年前)の海に生息していた「板皮類(ばんぴるい)」と呼ばれる絶滅した巨大な甲冑魚(鎧魚)です。
驚異的な噛む力を持っており、ホオジロザメの2倍以上と言われています。

六四天安門

静かで厳かなお寺にお参りに来ました「佛法山東漸寺」

2026年8月15日(土)

オイラの住む千葉県市川市が大雨の冠水のため多大な被害が発生しました。オイラは被害にあうこともなく元気です。被害にあわれた皆様、お見舞い申し上げます。
そのため、お祭りやイベントも中止になっているところが多いです。
なんだか、静かなところに行きたくなってここに来てしまいました。

【地図】

■浄土宗 佛法山東漸寺

佛法山 東漸寺(ぶっぽうざん とうぜんじ)は、千葉県松戸市小金にある、540年以上の歴史を持つ浄土宗の名刹です。
江戸時代には幕府から厚い保護を受け、僧侶の修行道場として栄えました。
現在は、美しいシダレザクラの名所や、地域住民の文化交流の場として広く親しまれています。

●小さなお地蔵さん

参道の脇の所々に小さなお地蔵さんが鎮座しています。和顔地蔵(わげんじぞう)と言うらしいです。

松ぼっくりがお供えされています。

手を合わせる姿から「良縁地蔵」と呼ばれています。

●鐘楼

夏場でこの美しさです。秋になったらどうなるのでしょう。楽しみです...

●石造十三重塔

仏教において「お釈迦様の遺骨(仏舎利)」を納める供養塔(仏舎利塔)としての意味を持っています。
一般的に奇数の層(三重、五重、七重など)が縁起が良いとされ、石造の層塔としてはこの「十三重」が最も高い部類に属します。

●本堂

青銅製の重厚な常香炉です。巨大な線香立てです。

賽銭箱には葵の御紋が...

名号碑(みょうごうひ)です。阿弥陀如来への信仰を表す「南無阿弥陀仏」の六字が陰刻されています。

●観音堂

手水舎の水の出るところ「龍口」です。

鉄砲百合ですかね。今が季節です。

東漸寺寺務所です。

残念ながら、雨に降られてしましました。山門で雨宿りです。この後、15分ほど雨の止む瞬間があるのでJR北小金駅に戻ります。もっと、居たかったのですが残念です。

六四天安門

現世と神域を繋ぐ、音の結界「柴崎神社-夏詣 風鈴祭り」

2026年8月8日(土)

昨日、仕事の休憩中外を歩きました。ヒューヒューと風が舞っていました。こんな日は風鈴の音色でも聞きたいものだと思いました。そうだ、「風鈴祭りというものがあったはずだ」と思いいたり、調べてみると千葉県では千葉市の東光院、8月11日から谷津バラ園、そして我孫子市の柴崎神社で行われていることがわかりました。今回はかつて行ったことのある柴崎神社にしました。

【地図】

■柴崎神社 夏詣・風鈴祭り~風と音に願いを込めて~

柴崎神社はオイラがまだ、ブログを始める前、2019年4月21日に参拝しました。その時は日本武尊の東征の足跡を訪ね歩いていました。東征の途中にこの地に立ち寄ったとの伝承がありました。

夏詣 風鈴祭りは2022年頃から始まったようです。今年は6月19日~9月23日まで実施されます。風鈴の短冊に願い事を書き込むことができます。透明のクリア御朱印もあるそうです。日程限定ですが夜間にはライトアップもされます。

●参道から拝殿を風鈴で繋ぐ神域

現世と神域を繋ぐ結界のような不思議な空間が現れたようです。

●参道での風鈴を見上げる風景

参道を通りながら見上げて写真を撮ります。半透明なガラスの風鈴に光が当たって幻想的な風景です。

●拡大して撮ってみましたが...

なんだか短冊まで収まってないと意味がないような気がして全体を収めるような写真になってしまいました。他の写真とあまり変わらない。これはこれでいいか...

●参道の脇から撮ってみました

風鈴が連なる風景も美しいですね。

●動画にしてみました

参道から本殿に至る道程を動画で撮影しました。オイラが通る一歩前を風が通り抜ける不思議な瞬間でした。キレイな風鈴の音の中をお参り体験してみてください。20秒程です。

六四天安門

自衛隊の夏まつりに行ってきたよ「陸上自衛隊習志野駐屯地」

2026年8月1日(土)

全国の自衛隊では夏祭りや納涼祭が、主に2026年7月上旬から8月下旬にかけて、全国各地の駐屯地や基地で分散開催されています。オイラの住む場所からは習志野駐屯地が近いので行くことにしました。

【地図】

■習志野駐屯地夏まつり

開始の13時に着いたのでまだ、人は疎らでした。入場に際しては手荷物検査がありました。

●空の神兵像

習志野駐屯地内の「空挺館」前にある、殉職した空挺隊員たちの慰霊碑です。

像は、当時の落下傘兵が「左手にはめた時計を見つめている姿」を象っています。
これは単に時間を確認しているのではなく、航空機から飛び降りる直前の「降下開始の秒読み(カウントダウン)」を行っている極限の緊迫した一瞬を切り取ったものです。

●空挺館(旧陸軍騎兵連隊御馬見所)

「空挺館」は、習志野駐屯地の敷地内にある陸上自衛隊・第1空挺団の歴史資料館です。

当時の軍服、装備、寄せ書き、そして殉職された英霊の遺品や遺影が静かに祀られています。

戦後に創設された第1空挺団の歴代の活躍、過酷な訓練の様子、実際に使用されているパラシュートや各種装備品、国際緊急援助活動の記録などが展示されています。

赤ベレー帽(エンジ色)の持つ意味:マネキンが被っているのは、陸上自衛隊で唯一、精鋭部隊である「第1空挺団」の隊員だけが着用を許されている特別なベレー帽です。空挺団に所属するすべての隊員(普通科、特科、施設科など)が共通してこの赤ベレー帽を着用します。

因みに、第1空挺団のマークは羽に落下傘です。

●「備える防人」像

東日本大震災での第1空挺団の活動に対し、国民からの感謝の気持ちを込めて寄贈・建立された自衛官の銅像です。

●軍馬慰霊之碑

かつてこの地が日本陸軍最大の「騎兵の拠点」だった歴史を物語る、非常に特別な意味を持つ慰霊碑です。

●屋台

●広場

フィナーレの花火を見物できる場所です。時間がたつにつれて場所取りに人々が集まってきます。

夏まつりの警備や誘導などの任務に就いている空挺団の一般隊員です。本日は非常に暑い日ですから体調の悪そうな人に積極的に声かけを行っていました。
「第1空挺団」の隊員である印の赤ベレー帽が印象的です。

18:00を過ぎるともう人でいっぱいです。

●傘降下訓練塔

高さが約80mの遠くからでも目立つ赤と白の鉄塔です。
この塔は空挺隊員(パラシュート部隊)になるための訓練で使われます。
・東洋一の規模:昭和30年代に建設されて以来、空挺団の歴史を見守り続けてきた国内唯一、東洋一の規模を誇る訓練塔と言われています。

●施設内にある車両及び展示物

大正から第二次世界大戦にかけて旧日本陸軍が使用していた「九四式三十七粍(ミリ)砲」という対戦車砲(速射砲)です。

陸上自衛隊でかつて運用されていた輸送ヘリコプター「KV-107Ⅱ(通称:バートル)」と思われます。
後部のスロープ(乗り降り口)が地面に掘られた穴とスロープ台につながっています。これは、空挺隊員たちが機内から「飛び出す(降出)手順や姿勢の地上訓練」をいつでも行えるように工夫された、実戦的なモックアップ(訓練教材)として活用されていると思われます。

陸上自衛隊で長年にわたり多用途ヘリコプターとして運用されていた「UH-1H(またはUH-1B/通称:ヒューイ)」の胴体部分だと思われます。
本来あるはずの天井の大きなメインプロペラ(ローター)や、後ろに長く伸びるテールブーム(尾部)がバッサリとカットされています。

陸上自衛隊の創設期から長年にわたり主力を務めた「105mm榴弾砲M2A1(のちにM101と改称)」です。

●空挺士魂太鼓

第1空挺団の隊員たちによって結成されている、陸上自衛隊を代表する伝統の自衛隊太鼓(和太鼓チーム)です。

●フィナーレ花火

19:50から花火の打ち上げが始まりました。850発の花火です。傘降下訓練塔の真正面の場所で待ち構えていたのですが、脇の林の中から打ち上がり始めました。まったく見えません。当てが外れたので移動しようとしましたが、人がいっぱいで身動きできませんでした。諦めて帰ろうとしていたところ、入り口付近で振り返ったら花火が見えたので何とか取れました。手持ち状態で撮ったのでブレブレです。

習志野駐屯地は単なる陸上自衛隊の基地という括りでしか見ていませんでした唯一の精鋭部隊「第1空挺団」の拠点であることが知れてよかった。六四天安門

暑さのため博物館に逃げ込みました「いなげの浜」-「BOTANICA MUSEUM」

2026年7月25日(土)

今日は朝から暑い。どこか行きたいけど暑すぎて気が進まない。ちょっと、海稲毛海岸にでも行ってさっさと帰ってこようと思う。

【地図】

■いなげの浜のウッドデッキ

稲毛海浜公園に到着。JR稲毛海岸駅から2㎞弱の場所なのに暑さで参った。自転車はやめてよかった。

いなげの浜にあるウッドデッキです。2022年4月29日にオープンした施設です。

いい場所だけど、今日はとても暑い。どこかに避難したい。そういえば、この近くに「BOTANICA MUSEUM」という博物館があったはず。そこなら涼めるかも。

■BOTANICA MUSEUM

正面玄関の看板が変わってます。前はコンクリートに文字が彫ってあるだけだったんだけど、ここのコンセプトの青りんごがデザインされてます。

名物の「青りんご」のオブジェはメンテナンス中です。7月27日に終了予定だそうなので、来週からはお目に掛かれそうです。

コキアも青々と育ってきています。秋の紅葉が楽しみです。

●本日はMUSEUMに入館します

ドライフラワーをメインとしたアート博物館です。夜にはライトアップされた展示も楽しめるようです。エアコン効いてるから快適だねぇ。

なぜ、青りんごがコンセプトになっているかは施設のプロデュースを手掛けたフラワーアーティストのHIKARU SEINO氏によるコンセプトに基づいているらしいのですが、なぜ青りんごなのかは語られていません。展示物についても詳しい説明は語られていません。見る人が感じることが必要なのかもしれません。

●ミラクルツリー(MIRACLE TREE)

●ボタニカリアン(BOTANICALIEN)

●モスモス(MOSS MOSS)

●ラブミー(LOVME)

展示作品は毎回少しずつ変化しているようだ。時折、来て変化を記録しておくのも楽しみになるかもね。

■併設の温室棟

温室が繋がっており、南国の植物や花を見ることができます。今は室外が暑すぎるので温室の中の方が快適です。

●アンスリウム

主に熱帯アメリカや西インド諸島のジャングルに自生する植物です。

●オオベニゴウカン

マメ科カリアンドラ属の熱帯性常緑低木です。日本では主に12月から5月にかけて、化粧パフに似た半球形の赤い花を咲かせます。別名:レッド・パウダーパフといいます。

●ゲンペイカズラ

熱帯アフリカ原産の常緑つる性低木です。萼の白と花冠の赤のコントラストが源氏と平氏の旗に見立てられ、名前の由来となっています。

●サンタンカ

アカネ科の常緑低木で、中国南部からマレーシアが原産地です。アジサイのように、小さな花が半球状に集まって咲くのが特徴です。

●エクメア・ファッシアータ

ブラジル南部に分布する熱帯アメリカ原産の多年草、エクメア・ファッシアータ(別名:シマサンゴアナナス)です。

●スパティフィラム

熱帯アメリカなどを原産とする多年草で、観葉植物として室内でよく育てられます。

●デュランタ

初夏から秋(6月〜10月頃)にかけて長い期間、涼しげな花を次々と咲かせます。写真の花はタカラヅカといいます。濃い青紫色に白い美しい縁取りが入るのが特徴です。

●ハイビスカス

赤、黄、白など鮮やかな色の花を咲かせる熱帯花木です。

●フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑華)

ハイビスカスの原種の一つです。花びらが細かく裂けて反り返り、長い雄しべが垂れ下がる様子が風鈴のように見えるのが特徴です。

六四天安門

奈良時代の遺跡の復元「上総国分僧寺跡」「上総国分尼寺跡」

2026年7月19日(日)

本日は市原市にある上総国分寺跡と上総国分尼寺跡に行きました。かつて、下総の国分寺には行きましたのでリンクを貼っておきます。もう4年も前になるんですね。

国分寺を簡単に説明すると...

奈良時代に聖武天皇が仏教の力によって国を災害や疫病から守るために建立を命じた国立の寺院のことです。
人々の幸福を祈る「鎮護国家」の思想に基づき、国家的な公共仕組みとして日本全国に配置されました。

国分寺には以下の2つの寺院が存在し、合わせて「国分二寺」と呼びます。
・国分僧寺:男性の僧侶が修行する寺院。
 正式名称は「金光明四天王護国之寺」。

・国分尼寺:女性の僧侶(尼僧)が修行する寺院。
 正式名称は「法華滅罪之寺」。

しかし、「律令体制の崩壊による国家財政の打ち切り」と、「度重なる災害や戦火」により国分寺は消滅しました。
国分僧寺は別の宗派のお寺として名を残すなどして生き残りましたが、国分尼寺は朝廷が「女性への授戒」を禁止したため正当な資格を持つ僧侶が居なくなってしまい存在意義をなくして急速に廃れました。

千葉県には下総国分寺(市川市)、上総国分寺(市原市)、安房国分寺(館山市)の3か所ありました。

【地図】

■上総国分僧寺跡

●上総国分寺

現在は真言宗豊山派 医王山清浄院国分寺となっています。

同じ場所に上総国分寺跡があります。

●上総国分僧寺西門跡

元西門があった場所です。足場の穴だけが残っています。

●仁王門

県内最古級の鎌倉時代の仁王像だそうです。網がもっとボケると思っていたんだけど意外とボケなかった。

●鐘楼

●弘法大師像

開創に関わったとされる弘法大師(空海)の像の像です。

●上総国分寺(本堂)

●国分寺 薬師堂

堂内には、病気平癒などの信仰を集める薬師如来像(御本尊)が安置されています。それにしても巨大な茅葺屋根ですね。

※七重塔跡と金堂跡は確認忘れました。すいません。

■上総国分尼寺跡

市原市役所を挟んだ反対側に国分尼寺の跡地があります。ここには復元された金堂院の回廊があります。是非見てみたいとずーっと思っていました。

●遺跡に到着

●復元された金堂院

金堂院は本尊を祭る金堂を中心とし、回廊で金堂と中門が連結した施設です。
平成3から8年度の整備事業により金堂院を復元しました。
細部の造形や部材については、古代の回廊として唯一の現存例である法隆寺回廊
、建築部材が出土した山田寺回廊等を参考にしています。
金堂及び中門の中央を結ぶ軸線上に再現した瓦敷の参道上には、金銅製の灯籠を復元しました。復元は同時代の現存例である東大寺灯籠を参考としています。

●金堂院の周囲の景色

●内側の景色

この門が中門ですかね。

回廊のこの途切れている部分に金堂があったと思われます。

復元整備工事は現在、中断されているようですが、国分尼寺はどこにも現存していない施設ですから復元されることで、未解明の歴史を解き明かす重要な礎となることでしょう。何とか実現に至ってほしいです。

六四天安門