街の小さな移ろいに気付きたい

『還暦ライダー』の生存確認日記

ツバメの子育て「大柏川第一調節池緑地」-「弘法寺」-「手児奈霊神堂」

2023年5月27日(土)

週明けから2週間は殆ど雨になる予報。今日明日に出掛けないとしばらく走れないかもしれない。今日は無理にでも走っておきます。Google Mapで見つけた妙な形の調整池を持つ緑地を目指します。

※亀井院の項目を記事末尾に追記しました。(2023年6月1日)

【地図】

■難読地名「稲荷木

本八幡に行くときは必ず通る場所です。千葉の難読地名でも紹介される地名「稲荷木」と書いて(とうかぎ)と読みます。稲を干す木、「稲木」が語源らしい。

■大柏川第一調節池緑地

真間川に流れこむ大柏川の水量が増加しないように「雨水浸透桝」を利用した調節池だそうです。大雨が降って、土地が保水できなくなったときこの調節池に流れ込むような構造になっているんでしょうね。普段は緑地として憩いの場となっています。

ビジターセンターです。

みんなカメラを構えてるので、何をしているのかと思ったらビジターセンターの軒下にツバメの巣がたくさんあります。等間隔に人工の巣台が設置されています。

調節池しかない施設ですが、意外と人が多いです。トンボや蝶々が飛んでいて、水中生物採取目当てに訪れている家族連れが多いみたいです。

●ツバメの子育て

つばめの子育ての写真を撮ってみたいと思います。巣の近くにいると親鳥が警戒して戻ってこないのである程度、距離をおいて撮ります。カメラが望遠じゃないのでつらいですが頑張ってみます。ツバメは飛ぶスピードが速いので追いかけるのが大変です。

夫婦のツバメのようです。雛はいないようなので、巣作りの真っ最中でしょうか。

こちらは雛の居る巣です。親鳥が餌を持って近くまで来ると口を開けて催促しています。

餌もって帰ってきた親鳥です。親鳥の帰還。

こちらは托卵中でしょうか。

雛のドアップです。

■手児奈橋

時間が余ったので、弘法寺と手児奈霊神堂に寄って行きます。ちょうど、去年の今頃に行きましたね。一年ぶりです。JR市川駅から北に進むと真間川に架かる手児奈橋にぶつかります。

■真間山弘法寺

里娘の手児奈の哀話を聞き不憫に思った行基菩薩は手児奈の霊を供養するため「求法寺」を建立しました。その後「求法寺」は「弘法寺」となりました。

(手児奈はとても美しい里娘だったようです。たくさんの男たちから求婚されたのですが、娘を争って人々が不仲になりました。自分がいなくなれば争いが無くなると思い、真間の入り江に身を沈めたそうです。)

真間山弘法寺・手児奈霊神堂については過去記事にて説明していますのでそちらを参照して下さい。

[真間山弘法寺・手児奈の過去記事]

https://haranbanjyokirikirimai.hatenablog.jp/entry/2022/05/05/100358

■手児奈霊神堂

真間山弘法寺にて供養されていた手児奈が、時を経て神となり人々を守護するようになりました。

心願成就の絵馬

さだまさし氏奉納の桂の木

歌手のさだまさしさんはバイオリンを習うために中学生の頃に長崎から市川の親戚の家に居候していたそうです。その後、市川市内で転居を繰り返し20年ほど住んでいたらしいです。

■真間の継橋

美少女手児奈に会いに行くため男たちが渡ったとされる継橋(つぎはし)のレプリカです。当時、この辺は水面が高かったため、土地が洲となっており洲と洲を渡るために継橋が架かっていたそうです。

■亀井院(真間の井)※2023年6月1日追記

亀井院に「真間の井」があるのはわかっていたのですが、奥まで入り難くてずーっとスルーしてました。ようやく、場所が判明したので追記で載せます。

亀井院には手児奈が水を汲んだと言われている井戸があります。万葉の歌人高橋虫麻呂は手児奈が真間の井で水を汲んだという伝承を聞いて『勝鹿の真間の井を見れば 立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ』(葛飾の真間の井を見ると、いつもここに立って水を汲んだという手児奈が偲ばれる)という歌を詠んでいます。

万葉集に歌われた「真間の井」を記念するために建てられた碑

真間の井はこの奥にあります。

手児奈が真間の井に水を汲むためにやってくると道端の葦でさえ、手児奈の素足や、白い手に傷がつかないようにと葉を片方しか出さないという。(心を持たない葦でさえ、手児奈を美しいと感じている。)という伝説が残っています。

因みに井戸側やつるべは後の世に作られています。元は清水の湧き出る澤だったようです。

柱に付いている箱は史跡保存の募金箱です。

高橋虫麻呂が歌った「真間の井」の万葉歌碑です。本当に、あの通りの歌が記されているのでしょうか?解読できません。

自転車往復:30km