街の小さな移ろいに気付きたい

『還暦ライダー』の生存確認日記

悲しき美少女・手児奈の物語「真間山弘法寺」

2022年5月4日(水)祝日

「市川ママ駅」のイベントに行ったので、もう少し真間について調べてみたいと思います。

「真間山弘法寺」このお寺は「ひとりの里娘の死」を悼んで建立されたそうです。

その娘の名は手児奈(てこな)。とても美しい娘だったそうで、里のたくさんの男性から求婚されました。その美しさは都まで聞こえ、国の役人や旅人までもが求婚したそうです。しかし、手児奈は自分のことを争って、不仲になっていく人たちを不憫に思い苦しみました。そして、自分がいなくなれば、人々が争わなくなると思い、真間の入江に入水して亡くなってしまいました。

【説明文リンク先】

・手児奈霊神堂ー手児奈霊神堂の由来

https://www.tekonareijindo.com/%E6%89%8B%E5%85%90%E5%A5%88%E9%9C%8A%E7%A5%9E%E5%A0%82%E3%81%AE%E7%94%B1%E6%9D%A5/

■真間山弘法寺

奈良時代に、この地を訪れた「行基様」は、手児奈の悲話をお聞きになり、「求法寺」を建立しました。これが後に、「弘法寺」になりました。

仁王門です。

不動明王像です。目が生きているように輝いています。6月に仕事のことで、いろいろあるので、自分に「活!!」を入れるために、アップで撮ってみました。

鐘桜堂です。きれいな鐘突き堂です。

祖師堂です。

客殿(社務所)です。

本殿です。

■継橋

むかし、この辺りは海で、いたるところに砂洲があり、国府に行くには砂洲と砂洲を結ぶ橋を渡らないといけなかったそうです。その橋々を「継橋」と言ったそうです。

ここにある橋は観光用のイミテーションです。

万葉集に次のような歌が詠まれています。

「足(あ)の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ (万葉集 14.東歌 #3387)」

「足音も立てず、真間の継橋を渡る馬がいれば、(手児奈のことろに)通えるのに...」とかいう意味らしいです。

愚かな男たちが継橋を渡って、手児奈のところにたくさん求婚に通っていたのでしょう。

継橋は弘法寺の参道へ繋がっています。

■手児奈霊神堂(女神となった手児奈)

弘法寺」の第7世日与聖人の夢枕に「手児奈」が現れ、「私は多くの人に供養していただきました。その御礼として今度は私が皆さんをご守護いたします」と言って、

「無事安産」 ー 元気な赤ちゃんが安産で無事に生まれてきますように
「孝子受胎」 ー 赤ちゃんがお腹に宿りますように
「健児育成」 ー 生まれてきた子供が健やかに成長しますように
「良縁成就」 ー 良いご縁がありますように

を約束されたそうです。

そして、建立されたのが、「手児奈霊神堂」です。

自宅の近所にも真間川が流れています。こんな謂れのある川だったとは知りませんでした。

山部赤人歌川広重、むかしのインフルエンサー達が題材に取り上げる程の物語です。我々の世代で潰えてしまうのはとても勿体ないことです。

自転車往復:25km