街の小さな移ろいに気付きたい

『還暦ライダー』の生存確認日記

千葉県印西市の龍伝説「印西市北総線沿い」

2024年1月2日(火)

今年は辰年です。飛躍の年となればよいですね。千葉に伝わる龍伝説を追ってみました。印西市には龍伝説が伝わっており、街のいたるところに龍のオブジェがあります。今回は往復50㎞を超える道のりなので、クロスバイクKhodaaBloom RAIL ACTIVEで出発です。印旛沼まで来て印旛沼サイクリングロードを避けて通る変わり者です。

【地図】

■三本松公園(如意宝珠)

これだけ見ると何なのかよくわからないオブジェです。宝玉を掴む龍の爪ですね。

■一本桜公園(龍の顔)

水面から突然、顔を表した龍の顔ですかね。面白い構図です。

■西の原公園(龍の首)

水面から首を出して、これから飛び上がろうとする姿でしょうか。

■龍腹寺橋(龍のオブジェ)

龍腹寺橋の欄干に龍のオブジェが設置されています。天気が悪くなって雨が降ってきました。この先の龍腹寺まで行く予定でしたが諦めました。でも、雨は小雨で、帰宅まで濡れずに帰れました。

この辺は地名も「竜腹寺」と言います。

■印西の龍伝説

千葉の伝承ってその場所だけでなく、他の場所と関わっていることが多いですね。今回も印西の龍腹寺、印旛郡栄町の龍角寺、匝瑳市の龍尾寺と伝承が伝わっています。

雨を降らせた竜
昔、印旛沼のそばに、人柄の良い人々が住む村があった。印旛沼の主である龍は、人間の姿になってしばしば村を訪ねては村人達と楽しく過ごしていた。ある年、印旛沼付近はひどい旱魃に見舞われた。雨乞いは功を奏さず、水田は干からびて、村人達は餓死を覚悟した。そのとき龍が村に来て、村人達から親切にしてもらった恩返しとして雨を降らせること、しかし大龍王が降雨を止めているため雨を降らせれば自分は体を裂かれて地上に落とされるだろうことを話し、姿を消した。間もなく空が雲に覆われて雨が降り出した。喜んでいた村人達は、龍が天に昇って雲の中に消え、直後に雷鳴と共に閃いた稲妻の光の中で龍の体が三つに裂かれるのを見た。村人達は龍の事を思って嘆き、翌日、皆で龍の体を探し出した。龍の頭は安食で、腹は本埜で、尾は大寺で見つかった。村人達はそれぞれの場所に寺を建てて龍の体を納めた。それが龍角寺、龍腹寺、龍尾寺である。(Wikipedia-印旛沼の竜伝承 より)

【龍角寺・龍腹寺・龍尾寺の位置】

自転車往復:65km

 

※2024年1月7日追記

龍腹寺、龍角寺、龍尾寺の伝承について気になったので調べてみました。この3寺で「関東三龍の寺」と呼ばれているそうです。伝承の真実性よりも、この広範囲に伝承を広めた意味は、また、それだけの財力と影響力を持った人物とは誰なのかというところが気になります。

■龍腹寺(りゅうふくじ)天台宗 千葉県印西市竜腹寺626
天和元年(1681年)に書かれたという略縁起によれば、大同2年(807年)の創建で、開山は慈観、初めは慈雲山延命院勝光寺と号したとされ、また龍福寺とも称されたが、釈命上人が雨乞いの祈願をした時、龍が死んでその腹が落ちた地であるため、龍腹寺に改めたとされる。
むかし、旱魃に苦しむ下総の村人を救うため、許しを得ずに雨を降らせた小龍が、竜王の怒りに触れ、3つに裂かれて地上に落ち、龍福寺地蔵堂の裏には腹部が落ちたので、村人は懇ろに葬り寺号を龍腹寺と改めて冥福を祈った。それ以来、降雨祈願の聖地として崇められているという。Wikipedia-龍腹寺より)

■龍角寺(りゅうかくじ)天台宗 千葉県印旛郡栄町龍角寺239
和銅2年(709年)竜女が現れ、金の薬師如来像を祀ったのが創建と伝わり、天平2年(730年)釈命上人が諸堂宇を再興したとされる。翌天平3年(731年)国中が旱魃となった時、釈命上人は勅を奉じ法を説き雨を祈った。すると身の丈8尺ばかりの老人が進み出て、わたしは印旛沼にいる小龍ですが、深く上人の法沢に浴しております。どうしてわが身を惜しんだりいたしましょう。どうか、身を以って雨に換えさせてください。のち、わたしの死骸を目にするでしょうが、それは大龍に罰せられたのです、といって立ち去った。雨がすぐに降り出した。そして、7日後、3つに裂かれた龍の姿が目にはいった。大龍の許しを受けずに雨を降らせたため、小龍は3つに裂かれてしまったのである。その頭の部分はこの地に落ち、金字で経を写し一緒に堂下に埋め、龍角寺と改称したという。また、龍の腹が落ちた地の寺が龍腹寺(千葉県印西市竜腹寺)、尾が落ちた地の寺は龍尾寺(千葉県匝瑳市大寺)という名前になったという。Wikipedia-龍角寺より)

※龍角寺には龍の顎の骨が保管されているらしい。

■龍尾寺(りゅうびじ)真言宗智山派 千葉県匝瑳市大寺1856
『略縁起』によれば、和銅2年(709年)、元明天皇の時代に全国的な大旱魃に襲われ、食物が不足して多くの人々が飢えに苦しんでいたという。このことを大変心配なされた天皇は勅使に命じて釈命上人を導師として請雨法という雨乞いの儀式を行わせ、その折に惣領村の浜より龍神が空に向かって舞い昇ったといわれる。その時、龍の尾が垂れ下がったということから、惣領村は尾垂惣領村となり、のちに尾垂村となった。空中高く昇った龍神は、まもなくすさまじい雷鳴とともに、3つに断たれて落ちてきた。 同時に激しい雨が降り出して、7日7夜のあいだ降りつづいた。その雨によって枯死寸前であった草木や動物たちは皆残らず生き返ったと伝記されている。3つに断たれた龍神の頭は下総国埴生庄に、腹は下総国印西庄に、尾は北條庄大寺郷に落ちそれぞれの地に祀られた。尾が落ちた大寺の寺は、釈命上人によってその名を「天竺山尊蓮院龍尾寺」に改められた。龍尾寺は、頭を祀った龍角寺、腹部を祀った龍腹寺と共に「関東三龍の寺」と呼ばれるようになったという。Wikipedia-龍尾寺より)