2023年9月1日(金)
おいらは歴史旅が好き。なので古地図をよく見る。もう存在しない神社やお寺を訪ねることもあり古地図で昔の場所を確かめて、今は何もない場所に赴くこともある。キレイとか立派だとかは関係ない。廃屋のような場所であってもかつて存在したという気配が感じ取れればよい。
旧江戸川に架かる「今井橋」の下辺りに昭和20年頃までは島(中州)のようなものがあった。昭和40年以降の地図からは消えてしまった。何故なのか色々とネットとかで検索してみたが、的を得る回答には出会えなかった。
昨日、古地図を年代別に見ていて気付いたことがあったので書いてみた。
【地図】
【昭和20年(1945年)】
昭和20年の古地図です。旧今井橋の下に島(中州)があります。
「この地図は、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」((C)谷 謙二)により作成したものです。」
【昭和40年(1965年)】
昭和40年の古地図では島(中州)は無くなっています。今井橋は今の橋ではなく旧今井橋です。あれれ!!旧江戸川に新しい川が合流しています。新中川です。
「この地図は、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」((C)谷 謙二)により作成したものです。」
1947年9月、カスリーン台風によって東京東部が再度浸水したことにより、改めて中川改修が検討された。1949年11月 中川改修事務所は再開され、中川放水路(新中川)の開削が本格化した。
江戸川区などでは多くの家屋等の立退きを余儀なくされるなどの大工事の末、1963年3月に中川放水路は完成した。
1965年3月、一級河川に指定され河川名を「新中川」に改称された。
(Wikipedia 新中川より)
度重なる中川の氾濫による浸水に悩まされた結果、20年近くの工期の末、中川をバイパスし、旧江戸川に流すための新中川を造ったということです。ということは大雨が降ると大量の水が新中川から旧江戸川に流れ込むわけで、旧江戸川が逆流して旧江戸川が氾濫する可能性が出てきます。そのため、川を塞ぐ弁みたいになっている島(中州)は邪魔なわけでその為取り除いたことが推測できます。あくまでもおいらの推測なので新中川の開削時の記録などが出てくればはっきりするかも...
因みに今の今井橋は昭和54年(1979年)完成なので、島(中州)が無くなった時期と一致しません。
■旧今井橋の跡
現在の今井橋の風景
旧今井橋の橋げたの跡が今での残っています。この鉄筋コンクリートの柱は本当に当時のものか。だとしたら杜撰だな。ちゃんと処理してほしい。
今や、古い橋げたは水鳥たちの休憩所です。
■今井橋の上から
橋の上から旧江戸川を眺めますが、島(中州)の痕跡すら見えません。
橋の真ん中が、東京都(江戸川区)と千葉県(市川市)の境になります。
■瑞穂大橋
新中川に架かる「瑞穂大橋」までやってきました。
■今井水門
新中川の水門です。新中川が造られた経緯を知ると「水害を起こしてはならぬ」という気合が感じられます。水門のゲートが7基も付いています。
●南側から見た水門
●北側から見た水門
今井水門は改装工事の真っ最中だそうです。だから、あんまり近づけない。
船の通行用に信号が付いてます。
■新中川看板
新中川の看板があったので今井水門と一緒に撮影しました。
■旧江戸川-新中川合流部分
下流方向から見た今井橋です。
手前が新中川です。左手が旧江戸川の上流です。右手が旧江戸川の下流、海に向かっています。でっかい川だなぁ。
自転車往復:15km