街の小さな移ろいに気付きたい

『還暦ライダー』の生存確認日記

二人の文豪の終焉の地「白幡天神社」

2024年2月17日(土)

本日は2人の文豪の碑が建立されている神社を訪れます。共に「終の棲家」として市川を選びました。やっぱり、ここは住みやすいのかな。おいらも50歳を過ぎて市川に住みはじめました。こうやってブログ書いててもネタが尽きることがありません。

【地図】

京成電鉄菅野駅

電車では滅多に下車しない駅ですね。自転車乗りのおいらはここをよく横断します。駅を横断するには駅を跨っている陸橋を利用します。これしか手段がないです。地下道や踏切もないです。

ちょうど、電車が入ってきたので撮りました。

定番のアイ・リンクタウンです。JR市川駅にも近い。

■白幡天神社

源頼朝安房の国の旗上げの際にこの地に白旗を掲げたことが社名の由来だそうです。

拝殿の社額の文字は「勝海舟」によるものだそうです。

枝垂れ梅でしょうか。とてもキレイです。ここは梅の名所でもあります。梅の花は前回のブログで堪能したので今回はほどほどにしておきます。

永井荷風の碑

永井荷風が市川に移り住んだのは昭和21年1月、66歳の時です。菅野に住んだ後、八幡に新築の家を建てました。そして、そこが荷風の終焉の地となりました。昭和34年4月30日79歳でした。荷風の日記「断腸亭日乗」には市川に住んでいたときの情景が綴られています。その一節が碑に刻まれています。

白幡天神祠畔の休茶屋にて
牛乳を飲む 帰途り緑陰の
垣根道を歩みつゝ ユーゴー
詩集を読む
砂道平にして人来らず
唯鳥語の欣々たるを聞くのみ 
      「断腸亭日乗

幸田露伴の碑

幸田露伴が市川の菅野に移り住んだのも昭和21年1月です。永井荷風が移り住んだ12日後です。荷風露伴をとても敬愛していたそうです。しかし、翌年の昭和22年7月30日に80歳で露伴は亡くなられています。荷風露伴の葬儀の際、門外に一人たたずんでいたとのことです。

永井荷風幸田露伴が親しい間柄であったとは知らなかった。そのことが知れてよかった。

自転車往復:15km