街の小さな移ろいに気付きたい

『還暦ライダー』の生存確認日記

遺跡見学会に参加しました「東中山台遺跡群」

2023年7月22日(土)

念願の遺跡見学会に参加しました。事前に連絡して写真撮影の許可も頂きました。

【地図】

■東中山1 号広場

遺跡見学会に行く道すがらの東中山1号広場に「東中山台遺跡群」の説明板がありました。他の公園にも説明板があるようです。

■東中山台遺跡群85次調査地点 遺跡見学会

ここは「東日本高速道路東中山住宅」があったところです。取り壊されて新しい建物が建つみたいです。その間の短い期間に調査が行われています。

見学会のお知らせは近隣住宅にポスティングされていたみたいです。(お話したおじさんが言ってました。)おいらは船橋市twitter発信から情報を得ました。午前(10:30-12:00)と午後(13:00-14:30)の2回の開催です。おいらは午前の部に参加しました。

今回は竪穴住居2戸がメインです。それぞれに説明される方がいますのである程度人数が揃ったら説明してくれます。竪穴住居は縄文、弥生時代の建物と思われがちですが関東圏では平安時代まで使われていました。ここの集落では住居の向きやかまどの位置が同じ方向を向いているそうです。

■竪穴住居1

手前に「掘立柱建物跡」の柱穴が並んでいます。掘立柱建物が先にあって、その後、取り壊された後に「竪穴住居」が建てられたようです。建てられたのは平安時代初期と推測されるそうです。

掘立柱建物跡は柱の跡だけが残っています。周溝の跡がないところを見ると高床式だったんでしょうか。パンフレットによると4x3本の柱、敷地サイズが結構でかい。見学会の時は気づかなかった。聞けばよかったなぁ。

パンフレットの絵を模写してみました。掘立柱建物と竪穴住居の位置関係を表しています。

真ん中の仕切りは実際にはないそうです。これは年代測定用に地層を残してあるそうです。「かまど」はまだ、発掘途中のようで埋まっています。

これは珍しい土器で「刻書(墨書)土器」です。文字のようなものが書いてあります。意味のある文字ではなくデザイン的に使われていたのではないかということです。

■竪穴住居2

奈良時代の初期に建てられたと推測されています。

ここは「かまど」が2つあります。

■出土品の展示

「土師器」、「須恵器」が出土しています。正に古墳時代から平安時代に使われた土器です。土師器は褐色の素焼きの土器で装飾的な文様がないのが特徴。須恵器は青灰色の焼物でその制作技法は朝鮮半島南部からの渡来人によって伝えられたとされています。

かまどで料理をするために使った土器です。壺(甑)は底が抜けています。下部の壺(甕)に水を溜めて上部の壺(甑)にスノコや布を敷いて穀物を入れて蒸していたみたいです。壺(甕)だけにすれば煮物もできますね。

支脚を使って火元から距離を取ることによって、壺底に炎の高温部が当たるように調整します。熱効率がよくなります。

出土した古銭の「祥符通寶」です。北宋時代の中国の通貨です。国内で流通していた通貨ではないでしょうから国府の役人が平安時代にこの地の持ち込んだ通貨でしょうか。

たくさんの蛤の貝殻が出土しています。

やっぱり、実際に説明聞くと知識が深まるねぇ。

西船橋駅から徒歩:1.5km